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トップページ コラム 【絵本の中の生きものたち】 自由にあこがれて(2)『ちいさな島』(1996)童話館出版

自由にあこがれて(2)『ちいさな島』(1996)童話館出版
ゴールデン・マクドナルド:作、谷川俊太郎:訳
レナード・ワイスガード:絵

「ちいさな島でいることは すばらしい。世界につながりながら じぶんの世界をもち かがやくあおい海に かこまれて」。

abtの中の人(ヤギ)が、生きものの活躍する絵本を紹介する連載です。最初のテーマ「自由にあこがれて」の第2回は、海に囲まれた小さな島のお話。家族や友人との関係に疲れたとき、仕事が行き詰まってしまったとき、自然の中に身を置いてみたくなることはありませんか。たとえば一人で海辺に波が打ち寄せるのを見ているだけでも、日常のしがらみの煩わしさからちょっとだけ解放されたような気持ちになるかもしれません。この絵本が見せてくれるのは、そんな自由の風景です。

「おおきな海のなかに ちいさな島があった」という一文で始まる最初の見開きには、海に囲まれた小さな島が描かれています。岸はごつごつした岩で、狭い平地には樹木が数本。ページをめくっても、とくに珍しい出来事は起きません。霧が島を覆う日、クモの巣が風に揺れる晴れた朝、梨の花の咲く春。ロブスターは岩陰で脱皮し、アザラシは子育てのために岩場に群れる……季節の移ろいにつれて、島を訪れるさまざまな生きものの姿が淡々と描写されます。波音しか聞こえない岩場で塩辛い風に吹かれながら、不思議な生きものを見落とさないように息をひそめて潮だまりをのぞき込む、あの感じ。野や海に出かけるのも難しい昨今ですが、そんな感覚が呼び起こされます。

しかし島は、ただ自由を象徴するだけの存在ではありえません。孤島という語には、嵐に耐える厳しさや、隔絶された心細さもまた含意されています。物語の中ほど、ヨットで島を訪れた子ネコは、島を見て「なんてちっぽけなところだ」と思います。「きみだって そうだよ」と島は子ネコに言い返しますが、「ぼくは この 大きな世界につながっている」のに「水にうかんで、きみは じめんから きりはなされている」島とは全然違う、というのが子ネコの主張。それに対して島は、自分も世界とつながっているのだと答えました。子ネコは、「島は、どう 世界とつながっているんだ?」と、魚から島の「ひみつ」を聞き出そうとするのですが……。

子ネコが再びヨットで島を去った後も、島の生きものの営みは変わらず静かに続き、冒頭に引用した言葉で物語は結ばれます。これは島の独り言なのか、島の四季を三人称で描写してきた見えない語り手が主体になって吐露した思いなのか。解釈を委ねられた読者もまた、「ちいさな島でいること」の「すばらしさ」に思いをめぐらせながら本を閉じます。

一人で自然の中にいるときに感じる自由は、他の生物がいない月や火星の上でも、同じく感じられるのでしょうか。さまざまな生きものが、わかり合うのは難しいそれぞれの都合で生きていて、それでも互いに無関係ではいられず、たまたまホモ・サピエンスに生まれた自分も、その複雑なつながりの一部に過ぎないのだと感じるとき、私はとても自由な気持ちになります。海や山に出かけなくても、日なたの郵便受けの上であたりをうかがっているカナヘビや、庭木の葉をむしゃむしゃと食べているスズメガの幼虫をこっそりと見ているだけでもいい。だれの意のままにならない生きものが、自分なりの方法で生きていている世界で、食べたり食べられたり、助けたり助けられたりして、つながっているのだと実感できれば――。業の深い人間の勝手な気休めかもしれませんが、その自由を失って成り立つような生活は、とても味気ないものです。

おとぎばなしから大人の責任という現実に戻ってくると、島嶼の生態系は人為的な介入や侵入外来種に対してより脆弱であるという問題も。今回のオマケは、『Threatened Island Biodiversity database』(島嶼生物多様性危機データベース)。こちらでは、世界各国の島嶼における希少種と侵略的外来種のリストがマップから検索できます。

『Threatened Island Biodiversity database』