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トップページ コラム 【abt徒然草】#19「未来の民族誌を読む」

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アクト・ビヨンド・トラスト(abt)のメンバーが、日々感じたことを徒然に綴る「abt徒然草」。第19回目は翻訳家でもある代表理事の星川淳が、環境と未来に関わる訳書を下敷きにした舞台公演後の対談に参加するため、その情報提供もかねてご紹介します。

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日本でもファンの多い女性SF作家アーシュラ・K・ル=グィンに『オールウェイズ・カミングホーム』(平凡社、1997年)という大作があることは、日本ではあまり知られていないらしい。訳者の私が言うと自己宣伝めいてしまうが、いまは亡きル=グィンが心血を注いだ傑作で、もっと読まれてほしいと思っていたところ、11月8日(金)~10日(日)の3日間、本書にもとづく舞台パフォーマンスを行なうとの案内が届いた。ポーランドと日本の演劇人による実験的な試みのようだ。9日午後3時からの公演後には、私と企画者の方々との対談も予定されている。

対談に備えて久しぶりに上下2巻を読み直し、改めてその深みと完成度に鳥肌が立った。22年前の「訳者あとがき」もずいぶん力の入ったもので、本書を“再発見”してもらうきっかけになればと、Facebookノートに書き写した。舞台パフォーマンスは私自身も興味津々だが(たぶん作品の一部を取り上げているのだろう)、下記を読んで心惹かれたら申し込んでみてほしい。

『オールウェイズ・カミングホーム』アーシュラ・K・ル=グィン著/星川淳訳(平凡社)

「訳者あとがき」(1996年筆)

『闇の左手』(ハヤカワ文庫)、『天のろくろ』(サンリオ文庫)、『風の一二方位』(同上)、『ゲド戦記』(岩波文庫)、『空飛び猫』(講談社)、『世界の果てでダンス』(白水社)――邦訳でこのくらい読んでいるだけでは、本当のル=グィン・ファンとはいえないのかもしれない。けれど、SF少年だった思春期に出会った『闇の左手』は、しかとは理解できないながら強烈な印象を残したし、The Word for World Is ForestやThe Eyes of the Heron(ともに『世界の合言葉は森』[ハヤカワ文庫]所収)など英語で読んだいくつかの作品にも不思議な親近感をおぼえていた。そして中国の道教的な思想やアメリカ・インディアン文化への傾斜、ベテラン・フェミニストとしての力強い発言、エコロジカルな感性など、こちらがある程度の精神遍歴を経てから折々に接するル=グィンの評論には、はっきりと共感できるものがあった。しかし相手はSF界の大御所。しかも、1929年生まれだからもう70に近い歳だ。いつもどこかで意識しながら、遠く仰ぎ見るだけの存在だった。

それがこうして、もしかしたら彼女の一世一代の大著といえるかもしれない本書を訳すことになったのは、やはりカリフォルニアの結ぶ縁だろう。結婚後はもう長いことオレゴン州ポートランドに住んでいるそうだが、バークレーで生まれて少し北のナパヴァレーで育ったル=グィンの作品には、つねに北カリフォルニアの自然に対する深い愛情が滲み出ている。それはある特定地域の生態系に根ざし、その人の体も心も(さらに踏み込むなら魂も)その土地から生えてきているかのような独特な愛情発露で、とくに同じ土地に愛着をもつ者にはビンビンと響く。こういう土地との結びつき方を、最近のエコロジーでは「生命地域主義」(bioregionalism)と呼んだりもするけれど、そんなに振りかぶらなくても本来は自然に培われるものにちがいない。

いっぽう私は、1960年代後半からそのバークレーや隣のサンフランシスコを震源に世界を揺るがした文化変革の波をまともにかぶり、日本人でありながらどちらかというと精神形成はカリフォルニア“ニューエイジ”(最近はこの言葉も手垢がついて使うのが恥ずかしくなった)の典型で、70年代の終わりから80年代はじめにかけて、この小説の舞台となっている〈大谷〉ことナパヴァレーのすぐ北、メンドシーノ国有林の南端あたりの山中に住んだこともある。標高1000メートル前後、西に海岸山系を望む100ヘクタールほどの広大な土地に、泉の湧く場所にしたがって10人から20人ほどの住人がインディアン伝来のティピー(円錐形テント)やモンゴル遊牧民のヤート(ゲルやパオとも呼ばれる円形テント)といった軽やかな住居を建て、電気もガスも水道もなく、料理には手ノコで集めた森の倒木を地べたに切った囲炉裏で燃やすという、ほとんど昔のインディアンそのままのような暮らしぶりだった。

時間的には1年に満たないその山での生活が、10数年の学校教育にも、はたまたインドですごした2年間の瞑想遊学にもまさる最高の学校だったし、国土の大半が箱庭的な自然と化してしまっている日本では感じにくい“地球”というものを強烈に実感したのも、このときがはじめてだった。人間が地球/自然とどうつきあい、生命共同体の主人ではなく一員としてどう暮らしていけばいいのか――北カリフォルニアは、そして北米の大地は、私にとってそれを教えてくれた心のふるさとなのだ。

ル=グィンがその北カリフォルニアを舞台に、はるか遠い未来の“土着”文化を描いた力作を書いているという噂は、かの地での経験を生かして屋久島に腰を落ち着けてから風の便りに聞いていた。タイトルはAlways Coming Home――円熟ル=グィンの描く「帰郷」が場所を超え、時間を超えてどんな深みへ達するのか、読まなくても胸が躍った。ところが、きっかけのないままわざわざ取り寄せてまでは読まないでいるうちに、個人的な関心と仕事の面から接する「ディープエコロジー」という分野の文献に、参考書としてちょくちょくこの作品の名前が登場するようになった。ディープエコロジーとは一言でいうと、人間が自然に利用価値だけではなくありのままに存在する価値を認め、アイデンティティ(自己感覚)を空間的に地球の生命共同体全体へ、時間的にも将来世代や地球の生い立ちまで、大きく拡大していこうとする考え方であり、それを具体的な行動に結びつけようとする運動をさす。その論者や推進者たちが本書を指針にしているとすると、いよいよ何かがありそうだ。

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11/8~10公演案内&申込(「フェスティバル/トーキョー19」参加プログラム)

オールウェイズ・カミングホーム

原案:アーシュラ・K・ル=グウィン 演出:マグダ・シュペフト テキスト&ドラマトゥルク:ウカッシュ・ヴォイティスコ ドラマトゥルク:滝口 健