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トップページ コラム 【abt徒然草】 #15「在韓在日コリアンというもの」

アクト・ビヨンド・トラスト(abt)のメンバーが、日々感じたことを徒然に綴る「abt徒然草」、第15回目は、理事の曺美樹(チョウミス)です。

「はじめまして、私は韓国在住の在日コリアンです」

…という自己紹介からして矛盾していることがお分かりでしょうか。そもそも、「韓国在住のコリアンならそのまま韓国人でしょ」と多くの人がツッコみたくなるでしょう。そんな矛盾した自己紹介から、あえてはじめてみたいと思います。

私は、祖父母が植民地時代に朝鮮から日本に渡って暮らし、東京で生まれ育った在日コリアン3世です。12年間、日本の国際交流団体でスタッフとして活動し、東アジア部門、とくにコリア部門を担当していました。団体を退職後、ひょんなことから韓国の大学院に「留学」する機会を得て、卒業後も韓国に暮らし続けています。

そんなわけで、期せずして自分の国籍と一致する「母国」に住むことになりました。…が、これが思ったよりも山あり谷ありの日々。この「韓国国籍で韓国住民だけど韓国人じゃない」、「日本で生まれ育ったけれど日本人じゃない」というビミョウな境界に住む「在韓在日コリアン」という立場から見える風景を、この“abt徒然草”を通じてお伝えしたいと思います。

韓国に暮らし始めたころは、さまざまな壁にぶつかりました。

まず、「存在の証明」について。韓国に住む「内国人」は満17歳以上はすべて「住民登録」をし、「外国人」は「外国人登録」をします。留学当初、周りの留学生たちと出入国管理局に出向いたところ、韓国籍なのに住民登録のない(そもそも住民登録法ができる前に祖先が日本に渡っている)私たち在日コリアンは、「在外国民」として、住民登録証でも外国人登録証でもない「国内居所申告証」というものを持たされることになるのです(2013年当時。2015年に住民登録法改定で在外国民も「住民登録」をすることに変わりました)。

韓国ではこの「住民登録証」が全てにおいてのIDカードです。銀行口座づくりから携帯電話の契約、ネットショッピングと、日常生活の隅々まで「住民登録番号」が必要です。外国人なら「外国人登録番号」。しかしそのどちらでもない、間に立たされた在日コリアンは、例えばこんな会話を繰り返すことになります。

銀行員:新規口座開設ですね。…外国人ですか?
私:いえ、韓国人です。
銀行員:では住民登録証を。
私:それ持ってないんで、代わりにこれを。(国内居所申告証を差し出す)
銀行員:……。(電話であちこち問い合わせる間待たされる、または別の窓口に回される)

携帯代理店で携帯電話を契約した時には、「韓国籍つまり内国人だけど住民登録番号はない」という事実を担当者がうまく理解できず、「外国人」として登録されてしまい、その後さまざまな手続きで面倒なことになったという苦い経験もあります。

単なる手続き上の面倒くささの問題ではないのです。

まだほんの70年余りしかたっていない昔、日本人とされて“内地”に渡っていった、あるいは連れていかれた朝鮮人が、解放後に朝鮮半島のルーツを体現して日本で「外国人」として暮らし、朝鮮籍や韓国国籍を保って生きた。そんな現代史がここ大韓民国ではまるで知らないもの、別次元のものになっているのだなあという実感。「日本でもガイコクジン、韓国でもガイコクジン…」という哀歌を、なんど心で口ずさんだかわかりません。

はじめは、所属感のなさ、孤独感でいっぱいの韓国生活でした。あくまで「日本人」扱いする人や「韓国人のくせに韓国語が下手だ」と見下す人(さすがにストレートには言われないが態度で感じて)に、悔し涙を飲んだりしました。

だんだん生活に慣れ、制度も多少変わり、以前よりもつまずくことはずっと少なくなりました。でもいまだに、韓国生まれ育ちの韓国人とは違うなにか、でも外国人とも違うなにかを抱えています。

それでも、どちらの社会にも完全に所属しきれない「境界」にいるからこそ見えてくる風景が、きっとあると思うのです。そういった自分の立ち位置を大事に思いながら、今日も元気に、多少荒っぽい韓国社会でサバイバルしています。

▼現在の活動
さまざまな一般市民たちが100日間でつくりあげる「地球市民ミュージカル A COMMON BEAT」韓国プロジェクトや、平和教育プログラムを行う韓国のNPO「プルリム」で活動しています。
풀울림:지구시민뮤지컬 A Common Beat