プログラム
【開会あいさつ】 | 星川淳/アクト・ビヨンド・トラスト(abt)代表理事 |
【講演1】 | 東海第二原発運転差止判決の意義――避難計画のみを理由に運転を差し止めた最初の判決 大河陽子さん/脱原発弁護団全国連絡会所属 |
【講演2】 | 原発がある地域の住民として、避難計画に対する不安と問題意識 石地優さん/安全なふる里を大切にする会(福井県若狭町) |
【講演3】 | 福島原発事故下で、避難できなかった人たち ~探査報道『双葉病院 置き去り事件』から~ 中川七海さん/Tokyo Investigative Newsroom Tansa リポーター |
【ディスカッション&質疑応答】 | 原発立地地域の避難計画が非現実的だとしたら、私たち市民にできることは何か モデレーター:青木将幸さん/青木将幸ファシリテーター事務所代表 |
日本は地震列島であるにもかかわらず、全国に54基の原発が立ち並んでいます。今回は、原発の問題に取り組む市民団体や弁護士などをゲストに迎え、原発立地地域の避難計画に関する実効性を中心に議論を深めながら、原発に依存しない社会を実現するために、私たち市民にできることは何かを話し合いました。
2024年9月16日に開催されたFuture Dialogue第9回は、原発立地地域における避難計画の実効性がテーマでした。2024年元日に能登半島地震が発生しましたが、石川県珠洲市はかつて関西電力と中部電力がそれぞれ計画する珠洲原発の建設予定地でした。また、能登半島の付け根には、運転停止中の志賀原発があります。もしも能登半島地震が稼働中の原発を直撃していたら、その被害は3.11の比ではなかった可能性があります。
【開会あいさつ】星川淳/一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト代表理事
星川:1986年のチェルノブイリ――いまはウクライナ語でチョルノービリと言いますが――での原発事故をきっかけに、脱原発をライフワークの1つと心に決めています。屋久島で暮らしているのですが、屋久島にいながらできることを続けてきた経験からも、原発があらゆる点で人類と地球の未来に有害であることは明らかです。ウランの採掘から精製、原発の稼働と点検、そして使ったあとの核のゴミまで、関わるすべての人が「望まない放射線被ばく」という深刻な問題に向き合わなければなりません。
とりわけ大事故が起こればどうなるか、世界はチェルノブイリと福島で重い教訓を学んだはずです。ドイツは原発を完全に廃止し、台湾でも2025年5月の全廃予定に向けて最後の詰めが進行中です。ところが、ご存じの通り日本では、3・11直後こそ脱原発の声が大きく盛り上がったものの、その後は政府・電力業界の巻き返しと、反対しても変わらないことへの市民・国民側のあきらめとが相まってでしょうか、いまの岸田政権では原発の新増設まで含んだGX(グリーン・トランスフォーメーション)という非常に筋の悪い方針が打ち出されています。
しかし、今日のテーマが示すように、不安定な国土で原子力に耐えるのは無理だと多くの人が気づいています。もともと無理だったのを情報操作や隠ぺい、札束で住民の頬を叩くような強権発動などによって、なんとかごまかしてきたのが日本の原子力政策です。
今日は、「日本に原発がどう無理なのか」を法律・現場・報道の3つの切り口から当事者に話をうかがいます。さらに、腕利きのファシリテーターによるディスカッションで論点を深めていただけることでしょう。よろしくお願いします。
【講演1】 「東海第二原発運転差止判決の意義――避難計画のみを理由に運転を差し止めた最初の判決」大河陽子さん/脱原発弁護団全国連絡会所属 [PDF]
プロフィール)
2012年に弁護士登録。原発運転差止訴訟について、東海第二原発運転差止訴訟、伊方原発運転差止訴訟、大間原発運転差止訴訟、島根原発運転差止訴訟等の弁護団に参加し、避難計画の争点を担当。また福島第一原発事故の責任を問う訴訟について、東電刑事裁判、東電株主代表訴訟の弁護団に参加。共著に『東電役員に13兆円の支払いを命ず!東電株主代表訴訟』(旬報社)、『東電刑事裁判 問われない責任と原発回帰』(彩流社)。
原子力災害対策指針はどのように定めているか
弁護士の大河と申します。私からは「東海第二原発運転差止判決の意義」ということで、それのみだけでなく、今年、能登半島地震も起きましたので、そういったことも含めて避難計画の問題点についてお話ししようと思います。
目次[p.2]ですが、大きく3つありまして、まず1つつめは避難計画の概要で、原子力災害対策指針がどのように定めているかの概要をお話しし、2つめに能登半島地震を受けて各地の避難計画の問題点に触れ、そして3つめに東海第二原発運転差止判決の意義についてお話ししようと思います。
〈1 避難計画の概要〉
まず1つめの避難計画の概要についてです。避難計画は、各地の原発立地自治体が定めているものですが、その各自治体が定める避難計画の前に、指針という形でおおまかな骨子が示されていまして、それが「原子力災害対策指針」になります。その原子力災害対策指針が定めている内容が、各地の避難計画の元になっています。
概要としては、まず原子力災害対策の重点区域として、p.4の青いものが原発とすると、原発から半径5㎞を目安とする「PAZ(Precautionary Action Zone:予防的防護措置を準備する区域)」という区域が定められています。さらに広く半径30㎞を目安に「UPZ(Urgent Protection action planning Zone:緊急防護措置を準備する区域)」という区域が定められています。その外が「UPZ外」になります。このように、「PAZ」、「UPZ」、「UPZ外」ということが、概念として定められています。
原発事故の進展具合によって、このPAZ、UPZ、UPZ外の避難行動が定められています。たとえば、施設敷地緊急事態(公衆に放射線による影響をもたらす可能性のある事象が生じた場合)のときには、PAZにいる人たちのうち要配慮者(避難に時間を要する方々)、妊婦さん、授乳婦さん、乳幼児などの方々は即時避難するとされています[p.4]。
さらに事態が進展して全面緊急事態になったとき、たとえば原発が冷却できないといった場合になると、PAZの方々はすべて即時に避難するように、となっています[p.5]。UPZの方々は原則として自宅や公民館など屋内で待機するように、とされています。つまりUPZの方々はPAZの方々が逃げていくのを見ながら、それでも基本的には屋内で留まっていることが想定されています。
ただ例外的にUPZの方々も、放射線量によっては避難をしたり、一時移転をしたりということも考えられています[p.6]。避難する場合には、OIL1(空間放射線量率500μSv/h)を超える場合に数時間以内をめどに避難する。もう少し放射線量が低いOIL2(20μSv/h)の場合は、毎時20μ㏜を超える区域について一日以内をめどに特定し、一週間以内をめどに一時移転をすることが定められています。500μSv/hも20μSv/hも、平常時に比べると極めて高い線量なのですが、そういったことを原子力災害対策指針は定めています。これがだいたいの概要になりますが、実際は指針通りにはいかない問題が数多くあります。
※OIL:Operational Intervention Level(運用上の介入レベル)
家屋が倒壊したら、「屋内退避」は不可能
〈2 各地の避難計画の問題点 能登半島地震を受けて〉
本年の元日に起きた能登半島地震による被害状況を確認しながら、避難計画の問題点について見ていきたいと思います。
まず1月1日に能登半島でM(マグニチュード)7.6の地震が発生して、志賀町で最大震度7を観測しました。石川県の発表によると、9月10日時点で死者358名(災害関連死者131名を含む)、負傷者1,212名、建物被害棟数は住居ですが8万棟を超えるという甚大な被害が発生しています[p.8]。
被害状況を簡単に見ていきますと、1月2日時点で、珠洲市の泉谷(満寿裕)市長が石川県の災害対策本部会議で、「壊滅的な被害」「建っている家がほとんどない」と被害状況を報告しています。p.9の写真のように、仮に原発事故が併せて起きた場合に「屋内退避をしろ」と言われても、退避できるような自宅がない。屋内退避できない状況になりかねないことがわかると思います。
p.10は輪島市の写真ですが、輪島市は震度6強を観測しまして、9月10日時点で被害棟数は1万300棟以上になっています。7階建てビルが根元から横倒しになっているなどの事態も発生していまして、これを見ても屋内退避などできる状況ではないことがわかると思います。輪島市は、p.8の地図で破壊開始点(震央)という赤いバツ印があった珠洲市のある能登半島先端から約33㎞のところに位置しています。約33㎞離れたところでもこれだけ家屋が倒れているとなると、先ほどのUPZが原発から30㎞ですから、UPZ圏でも地震による原発事故が起きた場合に家屋が多数倒壊して、屋内で退避できないことが考えられます。
p.11は石川県が発表している1月19日時点での被害情報です。地震発生から18日目のものですが、輪島市や珠洲市の被害棟数は「多数」とあるだけで、何棟倒れているのかがよくわかっていない。大規模な地震が起きた場合には、これくらいの被害が生じるとは思いますが、そうした場合にどういう建物で屋内退避ができていないのか、何人の住民らが屋内退避できていないのかということもわからないまま、18日も経ってしまう。公民館などの屋内退避施設を、どこでどれだけ開設しなくてはいけないのかという判断もできないことも想定されます。
いまだ改定されない原子力災害対策指針
また、自宅が倒壊しないとしても、強い揺れが繰り返し襲ってくるので、それによって揺れへの恐怖、また倒壊の危険があるため屋内退避ができないことも考えられます[p.12]。能登半島地震では、発生当日から6日間にわたり、震度5強以上に限っても9回もの強い揺れが繰り返し襲っています。震度5強とは、物につかまらないと歩くことが難しいくらいの揺れで、それが繰り返し、しかもいつ襲ってくるのかわからないときに、「屋内で退避しなさい」と言われても、なかなか難しいと言えると思います。
こういう地震による原発事故について、原子力災害対策指針の規定はどうなっているかというと、先ほど確認したとおり「屋内退避を原則実施しなければならない」としているだけで、それ以外の規定がないんですね[p.13]。地震時に屋内退避ができないことは普通に考えてもわかりますし、2016年4月の熊本地震でも明らかになっていました。今年の能登半島地震でもあらためて明らかになったことなのですが、これを受けて1月10日に原子力規制委員会の山中伸介委員長は、「屋内退避ができないような状況が発生したのは事実でございます」と認めています。それにもかかわらず、現在まで原子力災害対策指針は改定されずに、地震による家屋倒壊の場合の避難計画に関する規定は欠如したまま。この点で規定として欠落があることは明らかだと思います。
抽象的な規定しかない自治体の避難計画
では、各地の避難計画はどうなっているのか。たとえば美浜原発の避難計画を見ますと、内閣府が各地の緊急時対応を定めていて、「美浜地域の緊急時対応」※を取りまとめているのですが、これには「家屋倒壊によって屋内退避が困難な場合は指定避難所等へ避難する」というような記載はあるんです[p.14]。
それを具体化するのが自治体なのですが、では、地元自治体を見てみますと[p.14]、敦賀市や若狭町では屋内退避が困難な場合に関する規定はなかったです。美浜町とか小浜市は抽象的な規定しかない。具体的には、「自然災害を原因とする緊急の避難等が必要となった場合には、市は(町は)、人命最優先の観点から、当該地域の住民に対し避難指示を行うことができる」とされているだけで、どの建物に何人避難できるのかがよくわからない状況になっています。
p.15に抜粋した小浜市の表について、先ほどの内閣府の「緊急時対応」に書いてあった「指定避難所」は、どこの避難所が指定避難所であるかはわからないのですが、たとえば地震のときの「指定避難所」を仮に見てみますと、小浜市では65カ所のうち64カ所が屋外になっています。おそらく学校の校庭などのようですが、これでは放射性物質から身を守ることができないと言えると思います。
p.16のとおり、島根原発の避難計画(島根県、松江市)も抽象的な規定だけで、具体的にどの避難所に何人避難できるのかとか、避難所までの経路は安全なのかなどの記載はなされていません。能登半島地震を見ると、住宅の倒壊棟数ですら把握に十数日も要しています。これを踏まえると、事前に計画しておかないと、原発事故が起きてから避難所の設置を検討するのでは、屋内退避できない方々がずっと外で待機することになって、被ばくを強いられる可能性があります。また、学校の校庭など屋外の避難所を設定していた場合も、被ばくを避けられない事態になるので、抽象的な規定だけでは即座に対応することはできないだろうと思います。
※「緊急時対応」は、原子力発電所の所在地域ごとに設置されている「地域原子力防災協議会」において、内閣府を含む関係省庁と関係自治体が参加し、関係自治体の地域防災計画や避難計画を含むその地域の緊急時における対応を取りまとめたものとされています。(https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/faq/faq.html)
能登半島地震で起きた道路の寸断
次は道路の寸断の点ですが、p.17~18の写真は今回の能登半島地震によって、珠洲市で土砂崩れにより国道249号線が寸断されている状況です。この国道249号線は能登半島の唯一の国道で「能登の大動脈」とされているのですが、これが複数個所で寸断されました。輪島市では道路の陥没や損壊、電柱が道路のほうに傾いて電線が道路上まで降りており、車両は陥没へ落ち込んでしまっています[p.19]。内灘町では、ほかの地域と比べると震度が小さくて震度5弱が観測されましたが、道路が圧縮されたような隆起が確認されています[p.20]。また、救助などのために被災地に向かう車両の渋滞や、雪が降って道路の損傷個所に気づきにくいという状況も発生しています[p.21]。
これらの道路の寸断によって、原発事故が起きた場合に住民らは避難できません。孤立してしまった集落の住民は1月11日時点で3,124名にも上ります。地震から11日経っても3千名以上です。
p.22は1月8日の国土交通省の資料ですが、地図に赤いバツ印があるのが国道の被災箇所です。複数箇所で寸断されたままで、左上の枠囲み部分に「1月4日から国道249号の緊急復旧に着手」と書いてあります。地震から4日も経過してようやく復旧に着手しているんですね。そういう状況から、救助活動に向かう警察や自衛隊も被災地へ入ることができなかったことになります。
p.23は能登半島地震による志賀原発の避難区域の被災状況を内閣府がまとめたものです。これを見ると、通行止めが黒丸に×の印ですが、そこかしこに通行止め箇所があって、PAZやUPZの人たちが30㎞圏外に避難しようと思っても、大半のルートが通行止めに行き当たってしまう。通行止めではないルートを迂回しながら探したとしても、通行止めではないルートに避難車両が殺到して、大渋滞、大混乱が生じる。避難にもかなりの時間がかかってしまうだろうなということが、この資料からわかります。
p.24も同じ資料に基づく図です。志賀原発付近の孤立地区を示すものですが、UPZ内に14カ所も孤立地区が発生しています。地震によってこういう事態は十分に起きうることで、原発事故の避難計画策定に当たっては、こうした道路の寸断や孤立地区の発生も考慮に入れなければなりません。けれども、考慮に入れられていないのが現状になります。
原発のそばを通るしかない避難経路
ほかの地域を見てみます。P.25は伊方原発の避難経路ですが、佐田岬半島という長い半島の根元に伊方原発が立地しているので、半島の先の住民が陸路で逃げるには、伊方原発のそばをわざわざ通って、伊方原発の近くに向かって逃げなければなりません。この半島の避難経路は、半島の中央部を通る国道197号線と、その脇を通る県道255号とされているのですが、いずれも土砂災害の警戒箇所が複数で重なっています。国道197号線と重なる土砂災害危険箇所の地域名を加筆して示しましたが、14もの地域で重なっています。ここは日本で一番細長い半島で、ほぼ平地がなく、中央が尾根になる尖ったような半島なのですが、土砂災害が起きてしまうと、その一本が寸断されるため当然避難できないことになってしまいます。
次に島根原発を見ても、同じように広域避難計画には具体的な規定がありません[p.26]。さらにp.27の図ですが、これは「放射線防護施設」というものです。入院患者さんとか施設入所者の方々が避難をするのは難しいことから、陽圧化装置、つまり室内の気圧を外気よりも高くすることで外気が入り込みにくくする装置を付けるなどした、この放射線防護施設で待機することになっています。島根原発では、この放射線防護施設のうち6カ所が土砂災害警戒区域内にあります[p.28]。地震による原発事故が起きた場合に、土砂災害に巻き込まれて入院患者さんたちの生命身体が害される可能性が高いと言えると思います。
これらは避難計画の問題点のごく一部です。避難計画の問題点について裁判ではなかなか住民らの請求は認められなかったのですが、初めて水戸地裁判決が避難計画のみを理由として原発の運転を差し止める判決を出しました。
避難計画のみを理由にした差止判決
〈3 東海第二原発運転差止判決の意義〉
2021年、水戸地裁判決が運転差止判決を出しました[p.30]。いままでの差止判決は地震や火山などを理由にしたものだったのですが、この判決では、避難計画だけを理由に差止を認めた点に大きな意義があります。
この判決が対象としたのは東海第二原発です。茨城県に位置していて、東京駅まで116㎞しか離れていません[p.31]。首都圏原発といってもいい原発で、東海第二原発の周辺は人口が密集しており[p.32]、UPZ圏の人口が約94万人にも上ります。この訴訟の争点の1つが、これほどの人口密集地帯にある東海第二原発において事故が起きた場合に、住民らが避難できるのかというものでした。
原発事故の3つの特殊性
判決の骨子は、p.33に示したとおりです。1~3の部分が原発の特殊性ということで、4が深層防護という形になっています。以下、簡単に説明していきます。
まず、判決は「原発事故被害の甚大性」というものを認めました[p.34]。放射性物質が多量に施設外に放出されると、着の身着のまま避難せざるをえないことや、慣れない避難先での生活、自宅に戻れないなど、いろいろな甚大な被害が発生します。この認定は、福島第一原発の事故に照らして正当なものであると言えると思います。
原発事故被害が甚大であることは、ほかの判決でも多々認められているのですが、たとえば東電株主代表訴訟判決[p.35]では、原発で過酷事故が発生すると「我が国そのものの崩壊にもつながりかねない」というふうに、ほかの施設とは比べものにならない甚大な被害をもたらす施設なのだということも認められています。
2つ目の原発の特殊性として、水戸地裁判決は「原発事故収束の困難性」ということで、複数の対策を成功させ続けなければ、破滅的な事故につながりかねない特殊性もあると認めています[p.36]。すなわち、「止める、冷やす、閉じ込める」について成功し続けないといけないということです[p.37]。普通は運転を止めたら事故は収束すると考えられますが、原発の場合は止めた後も発熱が続くため、冷却し続ける必要があります。福島第一原発事故では冷やすことに失敗し、また閉じ込めることにも失敗してしまったので、ああいった事態になりました。
3つめの原発の特殊性としては、「事故の要因となる自然災害等の予測を確実には行なえない」という点です[p.38]。これは、現在の科学技術水準をもってしても、確実に「いつどのように地震が起きる」という予測ができない困難性があることを指摘しています。たとえば地震についていえば、纐纈一起先生(東京大学地震研究所名誉教授)が、「地震というのは予測が原理的に不可能で、実験ができない、データが少ないという三重苦であって、十分な予測の力はなかった」というご指摘もされています[p.39]。
「深層防護」が有効だとした判決
では、こういう難しい3つもの特殊性がある原発の安全確保をどうやって図るのかとなると、判決は「深層防護」が有効だと判示しています[p.40]。深層防護とは、安全に対する脅威から人を守ることを目的にいくつかの障壁を用意し、それぞれの障壁が独立して有効に機能することを求める考え方になります。
p.40の左にある「IAEAの基準」が国際的に確立された基準とされていますが、第1から第5の防護レベルがあって、第5に避難計画が相当し、第1~5で防護するとして確立しています。国内法令を見ましても、「設置許可基準規則」で第1~4、第5は「災害対策基本法」や「原子力災害対策特別措置法」、つまり避難計画で原発の安全を確保しようということになっています。ですから、p.41の上にあるように「第1から第5の防護レベルのいずれかが欠落し又は不十分な場合には、発電用原子炉が安全であるということはできず」と判示しています。
この意義がとても大きくて、これまでの裁判例や決定では第1~4の防護階層、つまり敷地内の話で事故の危険が立証されなければ、第5層がどうであれ原発の差止は認めないということだったのですが、水戸地裁判決は第5の防護階層、つまり避難計画に問題がある場合も原発は安全ではないと判断した点に大きな意義があります[p.42]。原発の安全確保というのは住民を被ばくから守ることなので、第5の防護階層に問題があるのなら原発は安全ではないと判断をすることは、法に照らしても正当な判示だと考えます。
避難計画は実現可能でなければならない
では、第5の防護レベル、避難計画が「達成されている」とするためには、具体的にどうあるべきかを、水戸地裁判決は「実現可能な計画およびこれを実行し得る体制が整っていなければならない」と言っています[p.43]。よく事業者などが「避難計画を随時改善していきます」と言うのですが、なんらかの避難計画が用意されていればいいのではなくて、実現可能な計画で、実行できなければならないという規範を立てています。
では、実際に東海第二原発の避難計画を見ますと[p.44]、PAZとUPZで合わせて94万人もいるので、全域を通じて調整し、みなさんに避難計画の内容が周知されている必要があると判決は指摘しています。そうでなければ到底避難できないということですよね。
ところが、避難計画が策定されたのが、そもそも当時14市町村のうち5つだけだったのです[p.45]。しかも人口15万人以上を抱える日立市などは、広域避難計画の策定もできていなかったという状況もありました。さらに、大規模地震が発生した場合に、住宅が損壊したり、道路が寸断したりすることも想定すべきなのに、それらに触れていませんよね、ということも判決で指摘されています[p.46]。ここは能登半島地震でも明らかになりましたが、考慮すべきところが考慮されていないということです。
実際に茨城県の広域避難計画(平成31年版)を見ますと[p.47]、「避難経路の寸断について」というところの「第9 今後の課題」については、「道路等の被災状況を住民へ情報提供する手段」がまだ課題になっていて、情報提供できるようになっていないこともわかりました。
こういう問題点を指摘して、判決としては、実現可能な避難計画とこれを実行し得る体制が整えられているというにはほど遠い状態にあるということで、第5の防護レベルに欠けるところがあり運転を差し止めると結論を出しています[p.48]。これはいずれも正当な判示だと思います。住民らの生命や健康を守るという立場に立ち、一貫して原発の安全性をどう確保すべきかを認定している判示だと思います。
時間なので最後になりますが、原発事故の避難計画は問題点だらけです。今日触れた以外にもたくさん問題があり、こういう避難計画のままでは福島第一事故を繰り返すと言わざるをえないと思います。原子力災害対策指針と全国の原発の避難計画をただちに抜本的に見直さなければならないですし、その見直しが完了するまでは、すべての原発の運転をただちに停止しなければならないと私は思っています。
【講演2】 「原発がある地域の住民として、避難計画に対する不安と問題意識」石地優さん/安全なふる里を大切にする会(福井県若狭町)[PDF]
プロフィール)
私は、いま日本で一番多くの原発が稼働し、一番古い原発が稼働している福井県の若狭町に住んでいます。関西電力美浜原発から約15kmに位置します。能登半島地震が起こったとき、私の地でも震度4の長い揺れに襲われました。原発事故が頭をよぎりました。美浜原発のある敦賀半島は、陸域にも海域にもいくつもの活断層があり、いつ大地震が起きても不思議でない地域です。それだけに、能登半島地震は人ごとでなく、志賀原発が動いていなくて、珠洲原発ができていなくてよかったと心底思いました。原発事故での避難は無理ということが、能登半島地震ではっきりしました。道路が寸断されてしまえば車で逃げることはできない、家屋の損壊で屋内退避ができないのは誰の目にも明らかです。福井の、若狭の、そんな現実を紹介できればと思います。
原子力防災の冊子に書かれていること
いま、日本で一番たくさん原発が動いている福井県の、原発がある嶺南の真ん中の若狭町に住んでいる石地と申します。大河さんから能登の話や水戸の裁判のことを言っていただいて、避難計画には全然実効性がないことを指摘いただきましたが、私のほうからも能登の現実と若狭の現実を踏まえて、いま言われたことを、今度は現地に住んでいる者としての思いとして報告させていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。
まず、避難計画で何をしようとしているかについてですが、福井県の各市町では、原子力防災の冊子が作られて住民に配られています。そこには、防護措置ということが共通に書かれています。防護措置とは被ばくを避ける行動ということです。具体的には、先ほども話がありました「屋内退避」と「避難」が防護措置に当たります。
屋内退避することによって外部被ばくと内部被ばくを防ぐことができ、建物の気密性と遮蔽効果によって放射線の影響を回避・低減させることができると書いてあります。次に、避難の方法としては、原則自動車で避難としています。道路の寸断等により陸路で避難できない場合は、船やヘリコプターでの避難を実施すると書いてあります。
能登半島地震での現実を踏まえて
それでは、避難計画の2つの柱である屋内退避と避難について、能登半島地震の現場を見てきた結果として、実際にどうだったかをお伝えしたいと思います。
8月の終わりと9月1日に能登に行ってきまして、「志賀原発を廃炉に! 訴訟原告団」の団長である北野進さんにご案内していただき、能登半島を回らせていただきました。
p.1の写真ですが、これは珠洲市の見附島といって、一般的には軍艦島という観光名所になっているところの近くで撮ったものですけども、この写真の道路には、私の背と変わらないくらいの高さでマンホールが出ています。もともとあったマンホールが地震によって飛び出てきた、ということは下が凹んだということなのかもわかりませんが、「液状化」という説明でした。その周りの家屋の倒壊や、道路を見てもらうと変形しているし、継ぎはぎになっているのがわかると思います。電柱も傾いていますよね。地震から8カ月経ってもこの状況でした。地震直後は、家の中にもおられず、逃げる道もふさがっていたことが簡単に想像されます。
p.2の写真、ここのところも道は道で補修されていて、凹んでいる部分がありますが、家屋も手が付けられずにこの状態になっていて、電柱もまっすぐじゃないですよね。傾いたままで、今も送電されている状態でした。見附島(軍艦島)の写真も出てくると思いますが、そこの場所の現況です。珠洲市とか輪島市とかをずっと回らせてもらったのですが、こうした状況はあちこちで見られました。先ほどの大河さんの話にもありましたけど、これを見て、屋内退避による被ばく対策はもう無理だと実感しました。
6カ所の放射線防護施設が使用不可に
屋内退避について、先ほど大河さんからも、事故が起きたときに高齢者、障害者などを放射性物質から守る防護施設の話がありましたけど、そのような施設は志賀町にもありました。石川県では20施設があったらしいのですが、14施設が被災し、うち6施設が防護施設として使えない状態だったということです。
志賀町の志賀町立富来小学校もその一つだったのですが、富来小学校は被災して使えず、避難場所になっていたのですが避難もできなかった。いま富来小学校は富来中学校の場所を間借りしていて、元の富来小学校は物置として使われていると係の方が言われていました。さっきも話のあった志賀町の避難ルートは11ルートありますが、そのうちの7ルートが寸断して使えなかったということでした。
屋内退避も避難も、どちらも無理だと実感
次は避難について。いまでも修理した道路が凸凹になって、特に橋の出入り口の、道路と橋のつなぎ目や盛り土してある場所は、地震直後は通れない道路が多かったと感じました。p.3の写真は、大河さんの話にもあった内灘町です。震度5弱とのことで、ほかと比べると震度は強くなかったのですが、液状化がものすごくひどい。
写真の左にある電柱、次の鳥居、それから奥の神社を見ると、同じ方向に傾いているのではありません。電柱は左、鳥居は右、奥や右隣の家は左に傾いている。要するに液状化なので、地面の傾き方があちこちで、こんなふうになっている。ここは道路もひどくて、ほかの町を走っているときよりも、ここの町を走っているときに一番アップダウンが厳しかった。見た目はそんなにひどくないのですが、中は住めない状態になっていて「危険」という張り紙をしている家がたくさんあったところです。
防護措置の柱である屋内退避と避難ですが、車での避難が原則になっているけれど車が使えない、放射線防護をする目的の屋内退避の家に入れない、もしくは入れても防護できる状況ではなくなっていることを考えると、現実は屋内退避と避難のどちらも無理だということが、あらためて実感できました。
能登に行っての印象ということで、いくつか挙げさせていただきます。道路の凸凹は先ほども言いましたが、平らな道路が少なく、乗車中は上下動にものすごく悩まされました。家屋倒壊については後片付けがまだまだで、震災直後のままの状態です。p.4の写真は内灘町の凸凹になった状態のところですが、当時のままの状態がいまでもたくさんありました。
隣町でも被害状況はかなり違う
それから、私としてはちょっと気になる話を北野さんから聞きました。それは何かというと、同じ地域であれば地震の被害がどこでも同じなのではなく、隣町どうしでも被害の大きさがかなり違うということです。確かに、回らせてもらっていると、ひどいところと、そうでもないところの差が僕から見てもわかるくらいでした。
若狭の美浜原発では、僕も原発の運転差止を求める仮処分申し立ての原告になって、大河さんにも加わってもらっていたのですが、そのときに大きな争点となったのは、「ごく近傍」といって原発の近くに断層が走っていて、それが影響しないかどうかということです。美浜原発の場合は、右隣約1㎞に活断層があり、左隣約3㎞にまた活断層がある状態でした。当然、普通に考えたって原発の右1㎞、左3㎞に活断層に挟まれていたら、とても原発はもたないだろうと思います。ですが裁判では、「250m以内なら検討しないといけないが、250mより離れていたら検討しなくていい」という関西電力の主張を裁判所も認めて、この部分については電力会社の主張が正しいということになりました。
しかし、先ほど言ったように今回の能登半島地震では、隣町同士で地震被害が全然違います。隣町同士というのは、たぶん数㎞の範囲で違うということだと思うので、それで全然被害が違うことを見れば、志賀原発がたまたま今回の地震で無事だったとしても、「美浜原発の1㎞と3㎞に活断層があったらアカン、これでは原発はもたない」という私たちの心配が、能登に行ってなお確認できました。地震の被害が隣町で違うことは、私にとってひどく大きなことでした。
液状化の惨状をあらためて実感
それからもう一つは液状化の惨状ですね。先ほどの鳥居の場所も含めて、内灘町の震度は5弱だったのですが、液状化による被害のひどさは、この写真と、案内してもらった人に聞いた話で、これは大変なことだと実感して帰ってきました。
次の写真ですが、天領黒島[p.6]といって能登で有名な観光地ですが、p.7は隆起しているところで、北野さんからもしっかり見てきたほうがいい場所だと言われて見てきました。私の写っている写真の岩壁の白い部分は、海のなかにあった部分です。少し黒っぽい部分がもともとの岩壁です。僕の頭の上に当たる部分は、もともとここにあった部分で、白くなっている部分が海から出てきて隆起した部分。この写真ではちょっとわかりにくいですが、実際にもっとわかるところで計ったら、3.5mから4mくらいあったと思います。黒い部分は何だったかというと、船を係留する場所です。杭みたいなのがあって、そこに船を係留させるための場所だったのですが、そこが一気にこれだけ上がってきた。とてもひどい状態でした。私が住んでいるところも江戸時代の初期に3.5~3.6m隆起したという体験もしたところですので、なおさら気になったところでした。
珠洲原発予定地だった地区の状況
p.8の写真の岩礁の下部、白い部分は先ほど見たのと同じですが、どこの写真かというと、珠洲原発を造る予定地になっていた高屋という地区、原発予定地のすぐ前の海岸です。高屋地区でも白い部分を見てもらったらわかるように、2mくらいだと思いますが、これくらいの隆起があったということです。
p.9は、高屋キリコ収納庫で、能登地方には「キリコ祭り」という祭りがあり、祭りに使うキリコ(大型の燈篭)は高いものだと16mくらいあるらしいのですが、それを入れている収納庫の写真です。
p.10の写真ですが、ここは寺家(じけ)という、先ほどの高屋(関西電力候補地)とは別に検討されていた原発のもう一つの候補地(中部電力候補地)でした。2カ所はそんなに離れておらず、ちょうど能登半島の珠洲市の先端部分のところです。この寺家の写真もよくよく見ると白い部分があります。違う写真ではもっと白い部分がはっきりわかるものもあったのですが、高屋に比べると寺家のほうの隆起はそんなに大きくなかったのかと思いますが、それでも1m近くは隆起があったんじゃないかなと思います。この写真の左側のほうが予定地になっていました。
先ほどのキリコの話がありましたが、p.11の写真に載っているものがキリコで、これが練り歩く祭りが能登の各地であるみたいです。「寺家キリコ祭り」として日本遺産になっているということです。寺家にも収納庫があるのですが、この収納庫を寄贈しているのが寺家では中部電力、高屋では関西電力だと書いてありました。
p.12の写真は、これは見附島(軍艦島)というところで、海に近いところを見てもらうとわかりますが、もともと軍艦と言われるくらい縦に立っていたのですが、それが崩れてきて下が広がっている状態で、上の木もものすごく少なくなっている状態。これが珠洲市の状況です。原発予定地だった寺家・高屋のいまの様子です。
海岸線に沿って平行に走る避難道路
このように、能登の原発で「屋内退避も避難も無理だ」と実感してきたあと、今度は若狭の場合を考えてみます。p.13の写真に見えているのは国道27号線です。若狭湾の原発は半島の海岸線に建っているのですが、避難道路は国道27号線と高速道路の舞鶴若狭自動車道の2つになっています。ほぼ海岸線に沿って2つの道路が平行して走っていて、主要な避難道路とされています。この写真は、主要道路の一つである国道27号線の若狭和田という駅前の交差点の場所なのですが、見てもらってわかるように、ここの地盤は海抜1mです。ということは、この場所は1m超える津波があったら水浸しになるということです。だから、能登のような津波が来たときには、ここは避難道路としては使えなくなるという意味です。
p.14は高浜町内浦湾全体の図で、上が北側、下が南側ですが、右隅のほうに高浜原子力発電所と書いてあります。ここに原発があって、右側の海岸線と左側の海岸線に、高浜の集落が半島にあります。原発の右下ですが、外海に通じている水路から取水して、この内浦湾というところに温排水を流しています。ずっと上に抜けていくと日本海です。それをイメージして次ページの写真をご覧ください。
高浜原発周辺にある集落
p.15の写真は、さっきの地図では高浜原発の、ゲートの真ん前に新しくできた橋です。この橋の左側に行くと、先ほどの地図の右側の半島先端の、音海(おとみ)という集落につながっています。この橋の先はトンネルです。トンネルを抜けると音海という集落です。事故になったら音海の集落の人はトンネルを抜けて、この赤い橋を通って、27号線に抜けていくということです。
先ほどの伊方原発の話でもありましたが、原発の前を通って避難しなくてはいけないことがこれを見てもわかります。そのための避難道路として造った橋がこれだということをわかっておいていただけたらと思います。
次にp.16の写真は、先ほどの地図の左側のほうに集落があって、そこを通っていく道の一部です。何の写真かというと、ここで土砂崩れが起きて、それを防ぐために固めてあるところです。こういうところが何カ所もあって、避難する道そのものが地震じゃなくても土砂崩れをしている実態を見てもらいました。
次にp.17は、先ほどの地図では左側の半島の先端のところに上瀬(うわせ)という集落があるのですが、その上瀬集落から原発のほうを見ると、この高浜1・2・3・4号機という4つの原発が見える写真です。距離は少しありますが、先ほどの湾のなかを全部見通したところの写真です。ここの人は、前にお話ししたときに言われていましたけど、「私たちは朝起きると、必ず家の前に原発が見えるのが日課なんです」と。それ以上は別に何も言われていなかったですけど、起きたら毎朝この光景があるという生活がどんなものか、というのを私も考えさせられました。
原発や関連施設を止めることが先決
能登で屋内退避も避難も無理だということと同時に、若狭にもし事故が起きたらどうなのか、避難できるのかと考えたら、能登のような地震がなかったとしても、若狭は若狭でいま抱えている問題がこれだけある。とくに避難経路となる主要道路が海岸沿いに2本走っていて、高速道路は片道一車線です。事故があればすぐストップです。とにかく逃げられない状態が若狭にあります。それに能登半島の現状を重ね合わせると、「いくら立派な避難計画があったとしても何の役にも立たない」ということが私の思いです。
結論として、能登半島地震を経験して、原子力災害対策指針の見直しということが言われていますが、能登半島地震の現実や若狭での現実を見ると、原子力災害対策指針を見直すことより、原発や原子力関連施設を止めることが先決だと思います。地震火山大国の日本に原発の居場所はないと思います。
年1回の避難訓練で問題点を直せるのか
いまのは避難計画についての感想でしたが、今度は避難全体について最後に報告して終わりにしたいと思います。
まず、防護措置はダメでした。それから、実効性のある避難計画の取り組みがいい加減。「避難訓練で実効性を高める」と県や国は言っています。それはどういうことかというと、避難計画に到達点、ゴールはないということです。避難計画はゴールがないから、何か問題があればその都度直していけばいいと、ゴールはないという言い方をしているんです。それでは、ゴールを目指して手直しをするのに何をしているかというと、「避難訓練でそれを見つけて直す」と言っているんです。福島の事故のあとも、福井県は年1回必ず避難訓練をしていますが、年1回だけです。年1回の避難訓練で、そこで問題点を出して、いつ事故が起きるかわからないのに、どうやって備えることができるんですか。もう本気度が全然ないというのが、このことでよくわかると思います。そこをわかっていただけたらと思います。
最低限、原発周辺自治体に同意権を
それから、避難対象者は広域にわたるのに、原発への発言権があるのは立地自治体だけで、周辺自治体にはありません。「原子力安全協定」というのが事業者と自治体で結ばれています。安全協定では、原発の再稼働など、住民と相談しないといけない事態が起きたときには、必ず事前協議をして自治体側の了解を得なければ動かせないということが決められています。その協定に関与するのは、福井県でいえば、福井県とそれから立地自治体(敦賀市、美浜町、おおい町、高浜町)だけです。
私は原発の真ん中に住んでいるのですが、私の住む若狭町はこのなかに入っていません。小浜市も入っていません。それだけではないんです。いま一番日本でたくさん動いている原発の大飯原発と高浜原発はどこにあるかというと、むしろ京都府が近いんです。京都府舞鶴市が一番人口も多く、大飯と高浜原発の避難対象となる人口は福井県民よりも京都府民のほうが多いんです(※)。それにもかかわらず、京都府民には同意権(事前了解権)というのですが、原発に対して意見を言うことはできても、「賛成かどうか」を問える権限がないんです。
それらを考えれば、最初に言ったように、避難計画があっても、こんなの僕はいくら改善してもアカンとは思いますけども、けれども最低限、少なくとも原発からの半径30㎞圏をUPZにすると法律で決めたのなら、30㎞圏内で被害を受ける地域の住民や自治体に対して、その意見を聞いて同意の判断に加える仕組みを作らなければ、避難計画というのは機能するような話ではないということだけは伝えて、お話を終わりたいと思います。
※大飯原発のUPZ対象人口:福井県=71,127人、京都府=82,628人/高浜原発のUPZ対象人口:福井県:43,946人、京都府:115,608人
【講演3】 「福島原発事故下で、避難できなかった人たち ~探査報道『双葉病院 置き去り事件』から~」中川七海さん/Tokyo Investigative Newsroom Tansa リポーター[PDF]
プロフィール)
1992年、大阪生まれ。大学卒業後、米国に本部を構える世界最大の社会起業家ネットワーク「Ashoka」に勤務。2020年から、探査報道に特化した非営利独立メディア「Tokyo Investigative Newsroom Tansa」のジャーナリストに。原発事故下の精神科病院で起きた事件の検証報道「双葉病院 置き去り事件」や、空調大手・ダイキン工業による大阪での化学物質汚染を描いた「公害PFOA」、長崎県で起きた高校生のいじめ自殺の隠蔽事件「保身の代償」などを手がける。「公害PFOA」でPEPジャーナリズム大賞(2022年)とメディア・アンビシャス大賞<活字部門>優秀賞(2023年)、「双葉病院 置き去り事件」でジャーナリズムXアワード大賞を受賞(2022年)。
「双葉病院置き去り事件」の取材から
Tansaという報道機関で記者をしております中川七海と申します。まずは2分ほどの動画をみなさんに見ていただこうと思います。
この動画は、私がTansaで報じた連載「双葉病院 置き去り事件」のダイジェスト動画です。連載記事[p.2-3]は、TansaのHP上からご覧いただけます。今回私は、双葉病院置き去り事件の取材から、福島原発事故下で避難できなかった人たちというテーマでお話しさせていただきます。
今日は時間があまりないので、私の紹介は割愛させていただくのですが、Tansaは非営利独立型の報道機関です。個人からの寄付や、編集に介入しない財団や主に海外の基金から取材費や人件費をいただき、行政のお金や企業からの広告費は一切受け取らずに運営しています。
震災弱者になってしまう方が多くいた
双葉病院置き去り事件は、福島原発から4.5㎞にある双葉病院とその系列の介護施設「ドーヴィル双葉」の患者さんたちがどのように避難したかという、地震発生からの7日間を時系列で追った14本の連載になっています。すべての記事はTansaのHPからお読みいただけるので、もしよかったら読んでください。
簡単に双葉病院とドーヴィル双葉についてご紹介しますと、原発からの位置はこのようになっています[p.4]。海にも近いですし、原発にも近いですし、車ですぐの距離です。震災当時、双葉病院とドーヴィル双葉には、これくらい[p.5]の患者さんが入院もしくは入所されていました(双葉病院:338人が入院、ドーヴィル双葉:98人が入所)。合計で436人です。ここに、お医者さんや介護士さん、看護師さんもいたという状況です。
双葉病院は内科と精神科がメインの科なのですが、特に精神科の患者さんも多くいらっしゃって、先ほどの動画でもお話がありましたけど、「最後の行き場」というふうにとらえている方もいました。東京で自分の家族に精神科の患者がいるのを知られたくないという方が子どもを連れてきて入院させたりとか、昔は戦争やいろいろなトラウマを抱えて実生活が厳しい方が入って、身寄りのない方もいたりしたそうです。いろいろな方に双葉病院について聞いて回ったのですが、そういう寂しげな、社会の隅に置かれた人たちが来る場所でもあるなと感じました。なかには寝たきりや認知症の方など、震災が起きたときに震災弱者になってしまうような方々がもともと多くいらした施設になります。
避難時の混乱が感じられる写真
p.6は震災から10年が経った2021年に、実際に私が現地に行って撮影したものです。本当は入れないのですが、双葉病院のある大熊町に住民票のある方に同行させていただいて撮りました。もう全然手がついていないので草もぼうぼうですね。
p.7は震災から1年後の2012年に、福島県在住の飛田晋秀さんという写真家の方が原発事故の記録をきちんと残したいということで自主的に撮られていた写真をご提供いただきました。これは屋外なんですけども、このように車いすが放置されていたり、新品のペットボトルのお水が散乱していたりという状況です。p.8は震災から10年後に私が行ったときの写真ですが、右下の草のかげにお布団があるのが見えると思います。このように避難のときの混乱の痕跡も残っています。
救助に6日間もかかった責任を問う
p.9は初回の記事からの抜粋なので読み上げませんが、この連載で私は何を問うたかというと、原発4.5㎞にいた、とくに自力で避難できない人々の救助に6日間もかかっているんですね。これによって病気になってしまった方、亡くなってしまった方がいらっしゃるのですが、この事態の責任について、原発事故を起こしたという点においては、東京電力の責任が裁判で問われています。もちろんそれも必要なことだと思うのですが、こういう災害が起きたときに、避難の責任、救助の責任を負うのは政府や行政なんですね。ただ、そこはきちんと責任が問われていない。
政府事故調や国会事故調からも、この双葉病院のことを検証した報告書は出ているのですが、とても薄いんですよ。中身がない、浅い。当時の総理大臣の菅直人さんも、双葉病院の患者さんの死亡について問う裁判で、最初は被告に名前が入っていたのですが、途中で名前が消されているんですね。当時の民主党政権もきちんと責任を問わない。いまの自民党政府も、もちろん自分たちは原発を推し進めたいのだから当時のことを掘り返したりしない、というところで、ねじれてしまっていて、本当に置き去りになっているところがあります。十分な検証がなされていない。
この状況下でも、亡くなった患者・入所者の45人は絶対に救えたのではないかという思いで、4年前に取材をしました。
ガスも電気も止まるなか置き去りに
取材方法ですが、検察が事故直後に何十人もの方々を聴取していたんですね。警察や自衛隊、政府関係者、病院関係者、いろいろと。そういう聴取の記録を全部、裁判所に通って書き写して手に入れました。あとはオープンソースで得られる情報、過去のマスコミ記事の情報をつなげて時系列で整理したり、実際に関係者に取材に行ったりして、新事実を出していきました。
p.10は当時の簡単なタイムラインです。3月11日の14時46分に地震が発生してから、このように周辺の原発は水素爆発などを起こしていました。p.11が、全部で5回にわたった双葉病院とドーヴィル双葉の患者さんたちの救助です。1回目は国の避難バスだったのですが、自力で歩けるまだ元気な方々と看護師さんたちが乗って先に出ました。このあとすぐに寝たきりの方々も救助されると思っていたんですけれども、そうはいかず、あとは自衛隊が救助を担うのですが、4回。すごい細切れで、48人とか7人とか。このように救助が進んでいきます。
「なぜ一気に救助しないんだ」と思われると思います。初日にガスも電気も水道も止まって、外は寒くて雪も降って、こういうところに何百人もの患者さんが置き去りにされていました。
「逃げた」強者と、置き去りにされた弱者
震災のタイムラインと救助を組み合わせた表がp.12です。取材でわかってきたのは、「逃げた」強者と、置き去りにされた弱者ということです。とくに、p.14に黄色の字で示したところですが、14日から15日にかけて、新聞では「東日本壊滅」と言われたほどすごく緊迫した状況が起きていた時期です。3号機の水素爆発、そのあとメルトダウンになるかもしれないという状況です。14日の夜、まだ双葉病院とドーヴィル双葉には患者さんがいるのですが、p.15に整理したように警察も自衛隊も、あとオフサイトセンター(現地対策本部)でも、少しずつ退避が始まっていきます。p.16はオフサイトセンターの様子です。いまは取り壊されてしまって存在していません。
14日の18時頃には、東電社員がオフサイトセンターの本部長にp.17のようなメモ(「18時22分、燃料露出 20時22分、炉心溶融 22時22分、格納容器損傷」)を見せています。この「炉心溶融」というのはメルトダウンのことです。こういうシミュレーションがあるよ、という。オフサイトセンターのトップは「我々だけが逃げるわけにはいかない」と言っています[p.18]。一方で、住民の安全班長であった高田さんという福島県職員の方が、オフサイトセンターの職員が「相当数逃げ出したように記憶している」と述べた記録があります[p.19]。15日朝には、どんどん警察や自衛隊が原発20㎞圏外に退避して、オフサイトセンターも全員撤退しました。福島第一原発の9割の職員も第二原発のほうへ行きました[p.20]。
自衛隊の犯した決定的なミス
そういうなかで、双葉病院とドーヴィル双葉の方々が救助されないまま、15日、16日と進んでいきます[p.22]。自衛隊の決定的なミスというのがあるのですが、たとえば、あれだけ原発に近い病院に行くのに、防護服を持って行かずに近づいて、結局引き返して丸一日来ない。現地の自衛隊員は寝たきりの方々がいるという情報を上司に伝えたのですが、それがきちんと反映されないまま救助がやってきて誰も乗せられない。2つの部隊で合同で救助に当たることにのちになっていくのですが、会議で片方の部隊が離席して、互いの連絡先も知らないという、完全に統制のとれていない状態で救助に向かうだとか。最後には、「救助完了しました」と第4陣のあとに報告します。それで、引き返している間に、双葉病院には3棟の病棟があるのですが、もう1棟を見ていなかったと、そっちにまだいるとあとから気付いて、また深夜に救助に行くだとか。そういうミスがたくさん重なって、多くの人が命を落としました。
このように6日間で25人もの方が亡くなりました[p.23]。このときの影響で、3カ月以内にのべ45人が死亡しました。
災害弱者が置き去りにされる国
双葉病院に当時勤めていたお医者さんは、のちの裁判でこのように尋ねられます[p.24]。このお医者さんは最後まで付き添っていたのですが、「もう原発が危ないので避難してください」といって避難したお医者さんです。「双葉病院を出発したとき(12日午後2時)には、すぐに亡くなるような、命の危険がすぐにあるような方はいらっしゃらないと、こういうお話でしたよね」と聞かれ、「はい」と。つまり亡くなる必要のなかった方が救助の遅れによって亡くなっています。
患者さんたちを避難させる責任がある立場の人、p.26は大熊町の元町長の発言なのですが、現実的に町民を避難させるのは目が届かないことがあると言っています。次にp.27はオフサイトセンターにいた経産副大臣の池田元久さんの発言で、この前亡くなりましたが、オフサイトセンターから双葉病院まで車で5分なんですよ。なのに、全然双葉病院のことを知らないんですね。それで、「双葉病院はあまりアピールしなかったんじゃない?」というふうに私の取材に答えています[p.28]。
結局、私が取材して思うに、災害弱者が置き去りにされる国だなというふうに感じています。何十人も亡くなって、しかも原発事故の被害がいまも及んでいて、責任をとれないから責任をとらない、そのまま新しい原発を稼働させる、こういう状況がいまの日本だと思っています。
実は、この双葉病院置き去り事件の連載は3年ほど前なのですが、いま続報を用意しています。というのも、自衛隊(防衛省)に当時取材をかけて情報公開請求をしていたのですが、数年越しにようやく出てきた資料が何十枚もありまして、まだ明らかになっていないこともたくさん載っていました。それらを精査して、少し先になると思いますが、また報じられればと思います。
これがTansaのサイトです[p.30]。メルマガ登録をしていただけると、記事の裏話や取材の更新情報なども流しているので、もしご関心がありましたらチェックしてみてください。以上です。ありがとうございました。
【ディスカッション+質疑応答】「原発立地地域の避難計画が非現実的だとしたら、私たち市民にできることは何か」(モデレーター:青木将幸さん/青木将幸ファシリテーター事務所代表)
プロフィール)
ファシリテーター。 1976年、世界遺産・熊野古道ぞいで生まれ育つ。2003年、日本で初めての会議ファシリテーション専門事務所を設立。 家族会議から国際会議まで、さまざまな会議を進行する。企業、行政、NPO、大学、生協、社協、国際機関から自治会、小学生からお坊さんの会議までクライアントの幅は広い。コロナ期にはオンライン会議ファシリテーターとして、近年では、美術分野における対話型鑑賞や熊野古道での巡礼対話のファシリテーターとしても活動を展開し、その領域を広げつつある。
「『避難できない』のがよくわかる」
青木:ご登壇いただいた3名とのディスカッションの時間と質疑応答をいただいて、やりとりができればと思っています。
このイベントのもともとの趣旨にもありました「原発の避難計画に実効性はあるのか?」ということを、法律、現地の住民、報道の3つの視点からお話をいただきました。ここまでご覧の方は、「これは、なさそうだな」と感じているかなと思いますが、お三方同士で、今日明らかになったことや今日感じたことで、「避難計画に実効性はあるのか?」という疑問に対して、「この点についてはっきりわかった」や「この点を聞けたのがよかった」など、どのあたりでしょうか、というのを紹介していきたいと思います。
大河:能登半島地震の被害状況を石地さんがすごく衝撃的な写真でいろいろ教えてくださった。原発の単独事故ではなく、日本は地震大国なので、起きるとしたら地震による原発事故が一番起こりうると思うのですが、地震によって原発事故が起きた場合は、もう避難できないなというのがよくわかるなと。
私も8月に能登半島に行ったんです。それで同じように見せていただいたのですが、まだ解体もなされていない建物がすごくたくさん、そこら中に倒れていました。こんな状況で「屋内退避をせよ」という原子力災害対策指針は、あまりにもこの現実を考慮していないなと思います。その改定もまだされていない状況なので、実効性があるかと言われると、実効性はないと私は思います。避難道路とか屋内退避の点だけをとってみてもそう思いますし、ほかの点もあるのですが、私ばかり時間をとってもあれなので、そんな感じで考えています。
避難計画の充実より、原発停止を
青木:石地さんにお話をいただきました、屋内退避も、車による避難も難しいんだという現地住民からのお声は、まさにそうだなと感じています。チャットで視聴者の方がこんなふうにも書いていたのですが、原発を運営している側は事故を小さく見せようとして、きちんとした数値を住民の方に、その場でタイムリーにお見せしなかったりする傾向もある。そういった点からも、この避難計画は厳しいかなと思いますが、石地さんからもう一声、お言葉をいただてもいいですか?
石地:原発事故になると「安定ヨウ素剤の配布」と「スクリーニング」といって被ばくした量を確認するという、必ずしなければならない2つの行為があるんです。それは、ある決まった場所に、基本は自家用車で行って受けることになっている。ただでさえ避難でパニックになって道路が渋滞するのに、そこに安定ヨウ素剤の配布とスクリーニングという工程が入ったら、普通の人が避難してもパニックになって車がまともに動かない状態だと思います。
だから、いま地元では、せめて安定ヨウ素剤の事前配布をしてくれないかと求めています。PAZの方にはもとから配られているのですが、UPZの方にも事前配布をしてくれないかと言っています。いくら言っても、少しは改善されていますが、「その考え方は拒否しないんだけども……」とは言うのですが、現実的には支援体制が全然ないんです。
能登の現状、地震がいつ来るかもわからない現状も全部含めると、避難計画を充実させてもらうよりも、もう原発を止めてほしい。だからといって避難をすることにはならないのかというと、それは原発が存在する以上はあるんですけども、「少なくともいま運転しているものは止めてほしい」ということになる。避難というのは、いま言ったようなことだけではなくて、もっとさまざまな問題をいっぱい抱えていることをわかっていただければと思って発言させていただきました。
青木:ありがとうございます。いまコメントにも入っていますけれど、「現地の住民の視点からすると、みんなが避難できる屋内の施設なんかそもそも造り得ないし、存在できないし、いま避難所と指定されているところが崩れてしまう可能性も十分にある」というご意見もありました。
避難計画の話は、石地さんが京都府民の話をしてくださったので、京都市民の方からこういうコメントをいただいています。原発からの距離で30数㎞のところに京都市内がある。外国からたくさんの観光客の方がいらしているのに、あんまり実感をもって原発のことを感じたり、避難のことをディスカッションできている状態にない、と。原発に賛成する側も反対する側も、一緒の土台に立って話すきっかけとなるのは、この避難計画なのかなというご指摘もいただいています。
政府や行政の組織体制が抱える問題
青木:そして、3人目の中川さんも、ありがとうございます。僕、報道の力をすごく感じたところではあるんですけれど、特に「自力で避難できない方」という視点から見たときに、本当にできていなかったんだな、というのをすごく感じています。
中川:避難計画の実効性、私はないと思っています。避難には大きく2つあると思っていて、ひとつは住民の方々の判断での避難、もうひとつが政府・行政といった組織が実行する避難・救助ですよね。双葉病院置き去り事件では、その後者のほうを追ったわけですが、対策本部だったりが、組織運営の体をなしていなかった。これは原発事故でなくても、何かほかの地震のみの災害だったり、もしかしたらテロだったりが起きても、そういう時にきちんと住民を安全な場所へ、安全な状態へ誘導できる力がないと想像がつく。そういう意味でも避難計画の実効性はないと考えます。
青木:日本中の自治体の長の方、自治体を運営している方にとって、自分事に考えなければならないような切り口だなというふうにすごく感じています。日本中どこでも地震は起きえて、原発事故がひとたびあればインパクトを受ける場所は幅広くあるわけですから、ちょっとみんなで考えないといけないなと感じるところであります。
私たち市民にできることは何なのか?
青木:では、「避難計画がちょっと実効性なさそうだぞ」という場合に、「私たち市民にできることは何なのか?」というところ、いくつかご指摘があるのではないかと思います。避難計画をきっかけにたくさんの方と意見交換する、ディスカッションする。「本当に大丈夫かな?」という視点から、原発そのものを「いいのかな?」というところを見出していくみたいな指摘がありましたけど、「私たち市民ができること」に関して、お三方からご意見をお願いいたします。
中川:できることは、「まず逃げる」ということ。私はメディアからの参加なので、さっき質問に「あとから出た情報が違ったりする場合がある。信頼性をどう担保するか」というのがあったので、それに紐づけてお答えすると、やっぱりすぐに出る情報と、遅れての訂正だったり、ある程度の乖離は発生してしまうと思うんですね。現場は混乱していますし、悪気があってもなくても。
だからこそ、大きく網をかけて、最悪の状況への対応で動くべきだと私は思っています。2つ異なる情報があるとか、何か小さく見積もっているんじゃないかと感じたときは、あとで「そこまで被害でなくてよかったね」「心配する必要なかったね」となれば、それはそれでいいので、最悪・最大の状況を考えて動くことかなと感じています。
印象として避難訓練の質は悪くなっている
青木:普段から、どういうことが起き得るのかを想定して、こうしてお話をしたりするのも大事かなと思いますし、最悪の状況を把握してやるということですね。
石地さんのご発言のなかで、避難訓練をしながら問題点を出していくんだという、避難訓練をする側の姿勢みたいなお話も出ていましたが、では3・11の事故、能登半島地震を受けて、避難訓練の質みたいなものが変わっている感じはあるんでしょうか?
石地:毎年、避難訓練の際に市民の方も監視行動というのをしているんです。現実的に行政が募っている訓練に参加者として参加したり、参加しなくてもヨウ素剤の配布とかスクリーニングの場所とか、そういうところに視察に行ったり――僕らは監視と言っているのですが――そういう行動をとっています。そういう印象からすると、悪くなっているんじゃないかと思います。
それと、もうひとついいでしょうか。先ほどの中川さんの双葉病院のこととか、それから能登の状態とか、現実に突きつけられる写真を見たり、話を聞いたりすると、やっぱり感じるものがあるのではないかと思います。けれど、そう思ってしても、なかなか広く伝えるのは難しいところがあります。漫画的な形にして、とっかかりが少なくても多くの人に見てもらえる形にできないか。さっき大飯原発と高浜原発は京都のほうがずっと避難する人が多いんですよ、という話をさせてもらいましたが、そういうときに福井県の住民と京都府の住民とで話をしたり、またそういう話題をもったりするときのひとつのツールとして、そういう漫画のようなものができたらいいなと思ったのですが、そんなことをしてくれるところはないでしょうか?
青木:そうですね、視聴者の皆さんからも、ぜひこういうことを広めていくために、漫画なり、アニメなり、ドラマなりにして、本当のところを伝えられる方法がないですか、というようなところですね。これはやれたらいいですね。原作として募集するという方法もひとつあるのかなと思います。
原発差止訴訟の傍聴に来てほしい
青木:「私たち市民にできることは何だろう」ということで意見交換が進んでいますが、こんなコメントをいただいています。「市民にできることのひとつに差止訴訟の傍聴があるのではないか」というご提案ですね。ちょうど明日(9月17日)、京都地裁での大飯原発差止訴訟があるんですけれど……というコメントです。大河さん、裁判に市民が傍聴に行くことも何か効果はあるんでしょうか?
大河:はい、大きな意味があると思います。傍聴に来てくださると、裁判官が緊張するというか、「これだけ市民の関心が高い訴訟をいま自分がやっているんだ」と意識すると思うので、傍聴に来ていただくのはすごくありがたいと思います。傍聴したなかで感じたことやご意見を、またみんなで共有してもらうとかしていただければ、避難計画や原発の問題点が共有できて、さらに広まるんじゃないかなと思う。
裁判官に重大事件だと思わせるという意味とか、原発の問題をみんなで考えるという意味で、来ていただけるとすごくありがたい、大きな意味があるというふうに私も思います。ご提案いただいた方、ありがとうございました。
青木:国民が「この課題に関心があるんだぞ」ということを裁判所にも伝えていくことが大事だということですね。
大河:そうですね。傍聴席がガランとして誰もいなくて、弁護士だけがやっているとなると、もうこれは完全に負けの裁判になるので。やっぱりみんなが見て、みんなの生活がかかっているんだということの迫力が出てくると思いますので、ぜひ来ていただければと思います。
青木:今回、この水戸地裁の判決の内容を、僕は初めてちゃんと把握したのですが、画期的というか、すごく大事な判決ですもんね。
大河:「みんなで守っていこう」ということで、どなたでも傍聴には来ていただいて大丈夫です。抽選になるかもしれないので、抽選に落ちたら聴けないですが、そういう経験も含めて、来ていただけるといいかなと思います。
青木:市民にできることのひとつとして、「裁判の現場に行ってみよう」ということも挙がりました。原発の再稼働を止めたり、原発そのものを止めていくような運動も重要だよ、というコメントもいくつかいただいております。ありがとうございます。
3・11のあと、自衛隊は変わったのか
青木:みなさんから出していただいている質問のなかから聞いてみたいのですが、中川さんの自衛隊の話などかなりリアルな話だったと思います。防護服を持たずに行ってしまったみたいな感じのことですね。このあとも、さらに文書が公開されていくとのことですが、隊員の方も被爆されたりしたのか、3・11のことをきっかけに避難なり、自衛隊の行動指針みたいものに変更があったりしたのか、そんなことはありますか?
中川:現場の救助を担った自衛隊の方々は線量計をもって現地に入るのですが、まだ患者さんが目の前に何十人と並んでいるけれども、もうピーピー鳴り始めたから引き上げなきゃ、というのはありました。男性と女性で許容量も違うのですが、女性のほうがまず先に鳴り始めて、ピーピーピーの間隔もどんどん速くなっていく、というような記録もありました。
詳しくは記事を読んでいただければと思うのですが、そのあと自衛隊の規則がどう変わったかというご質問ですが、いろいろなものが見直されたのは事実です。ですが、全然ちぐはぐになっているので、そういうところも続報で報じていけたらと思います。現場の人たちだけでは本当にどうにもならないような状態であることは、いまだ変わっていません。
青木:ということは、起きてほしくはないけれど、似たような事故がもう一回起きたとして、実効性のある避難というのは難しそうだというのは、今日の話を聞いても明らかということですね。
中川:そうですね、統制がとれていないので。
青木:いただいたコメントですごく多いのは、やっぱり避難計画に実効性はないのが明らかなので、そこに切り込んでいくよりも原発そのものを止める必要があるんじゃないかというご指摘です。いまいただいたコメントでは、市民が関心を持ち続けること、自分で精査するということ、常にあらゆる想定をしていくといったご提案をいただいています。こういう視点は、原発がたくさんある日本では、私たちみんなが持っていないといけない感覚なのかなと思います。
いろいろな切り口で問題を広めてほしい
青木:石地さん、前にお話をされていた、原発立地にお住まいの方と他地域の方との交流みたいな話も、私たち市民にできることなのかなと思うのですが、お住まいの方の感覚からして、原発から距離がある都市の方との関わりについて、何か思うところはありませんか?
石地:関西のあるグループは、福井県だけじゃなくて滋賀県とか京都府とかに行って住民にアンケートをとったり、話を聞いたりして、それを自治体に「こういうことを自治体として取り組んでほしい」と伝える行動もしています。
そういう活動の影響は全然ゼロではないのですけども、じゃあ話し合いできる機会が増えたとか、そういう場面が多くなったのかというと、そこは簡単ではないところもある。違う切り口でされると、もっと広がる方法があるのかなという気もするので、これを聞いておられる方で、こんなふうな取り組みを自分らでしてみようかなっていう人が行動してもらえると、ありがたいなと思います。
抑止力になるようメディアを作り直す
青木:ありがとうございます。いまいただいたコメントで、影響力の大きいメディアがもうちょっと切り込んでいけるといいのに、みたいな話を書いてくださった方もいます。中川さん、メディアという意味では、大手メディアと独立系メディアではちょっと味わいが違うと思いますが、どんなふうにお感じになりますか?
中川:おっしゃる通りですね。メディア、報道機関がもう抑止力になっていない。だからこそ私はできることをしますが、それでは全然足りないので、本当にこの問題に限らず、メディア自体を変えなくてはいけない。変えるというか、もういったん壊して作り直すくらいでないといけないなと思っています。ただ、今の状況下でもジャーナリストとしての腕があり、思いをもった人もいるので、そういう人たちがつながっていくということは大事だと、毎日のように思っています。
青木:大手メディアでも結構切り込んだ報道をしてくれる場合もあるし、そんなときに応援のコメントとかが入ると勇気づけられるみたいです。苦情みたいなのが多いと、やっぱりこの手の話題を扱ってはいけないんだなと、大手メディアが引いちゃっていくのは非常に残念なことなので、いい報道を見たときに「よかったよ」ってきちんとお伝えするのも我々市民ができることかなと思います。
こんなコメントをくださった方もいます。電気を大量消費するコンビニや自動販売機、自動車も電気自動車がいまどんどん増えていますけれど、本当にこういう量が必要なのかなと。私たち消費者側の感覚として当たり前にコンビニを使ったりしていますが、よく考えて、私たちの暮らしに本当にこんなにたくさんのエネルギーを使っていいのかなということを見直す必要があるんじゃないか、という話もあります。別な方からは、AIとかも便利だから使っていますが、ものすごい電気を使うみたいですから、新しいものだからどんどん使っていこうというのもあるかもしれませんが、どうなのかな、と思うところもあるかもしれません。
稼働中と停止中の原発では危険度が違う
青木:質問がきています。いますでに再稼働してしまっている原発を一日でも早く止めることを意識しているのはもちろんですが、いま止まっている原発にも大量の放射性廃棄物が存在しています。そこに地震や津波が起きたときに、稼働している原発と同じくらい危険なのか、どれほどの危険性があるのか、どなたか教えていただきたいというご質問です。
石地:専門家ではないので正確な答えじゃないかもしれませんが、交換直後の燃料と、交換から10年、20年、30年とある程度の年数が経った使用済み燃料とでは、危険性のレベルが全然違う。それは熱もそうだし、放射線量も時間が経てば減っていくわけですから、それらを全部考え合わせると、運転を止めれば一番危ない使用済み燃料を生み出さないので、危険性が少なくなります。原発の運転を継続していると、いつまで経っても、事故になったときに放射線がたくさん環境中に出される危険性が高い使用済み燃料がずっと存在するということになります。置きっぱなしの使用済み燃料と交換直後の使用済み燃料では(危険性が)全然違うということです。
関心をもち、仲間を増やして、動いていく
青木:ありがとうございます。
今日はお三方のゲストにご登壇いただきまして、原発の避難計画に実効性はあるのかという部分と、それがないとすれば、私たち市民に何ができるのかという点について意見交換をさせていただきました。
いろんなご指摘がありましたが、ひとつには裁判など、いま争われていることに国民は関心があるんだよ、ということをアピールするためにも裁判を見に行くということ。関心を持ち続けるということであり、いい報道をするメディアを応援して、きちんとした情報なり、正しい知識をみんなで共有すること。原発立地自治体もそうですが、立地自治体から少し離れた人たちにも関わりのあることなんだというふうな、当事者性を育てていくことが大事だということ。日本は観光立国で、たくさん観光客を呼んで成立させていこうというような政府の方針もあるので、「じゃあ観光客が来たときに何か起きたらどうするんだ」ということ。これだけの地震大国、原発大国はほかにないと思うので、私たち一人ひとりの市民が関心をもって、仲間を増やして、動いていくのが必要なのかなと感じました。
イベントは終わりの時間になります。お三方、ご登壇いただきまして、ありがとうございました。