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トップページ コラム 【abt徒然草】 #1「他者を理解する」

市民活動助成基金(一般社団法人)アクト・ビヨンド・トラスト(abt)のメンバーが、日々感じたことを徒然に綴る「abt徒然草」をスタートします。隔週でのゆったりペースの連載です。第1回目は、広報関連の業務を担当する河野美由紀です。

少し前の話になるが、7月16日放送のNHK日曜美術館「みなが見てこそ芸術 川端龍子」に心動かされた。川端龍子(かわばたりゅうし)は、それまでの日本画の慣習にとらわれず、独特な技法やスケール感で作品を描き、世の中の動向、人々の関心を盛り込むことで作品を世に問うという「花鳥風月だけではない」日本画を開拓した。解説は現代美術家の会田誠である。会田誠と言えば、作品の撤去要請騒動や女性の描き方が一部で問題視されるなど、作品以外で耳目を集めることもあるが、作品自体は同時代を生きる人々の深層にある願望や不安を描いて、一度見たら忘れられない印象を残している。

番組は、ダイナミックな波濤を描いた『鳴門』、中国大陸の上空を飛ぶスケルトンの戦闘機を描いた『香炉峰』などの代表作に続き、クライマックスは『爆弾散華』(1945年)である。終戦直前に自宅を空襲で焼かれた龍子が、そのわずか2か月後に発表した作品だ。庭で大切に育ててきた野菜や草花が爆風で吹き飛ばされる様子が描かれているが、よく見ると植物は人の身体に見立てられており、等身大の人間が爆撃を受け、身をよじる姿が浮かびあがる。龍子は息子を戦争で亡くしている。タイトルの散華(さんげ)は仏に供養するため花をまくことを言い、戦死を意味する言葉なのだそうだ。龍子の無念は、同時代の数えきれない人々の無念にも通じている。

会田は龍子の作品を「人々の時代精神の近くに芸術家はいなければいけないんだという、そんな態度を感じる」と評し、『爆弾散華』を前に「どれだけ芸術家なんだって感じですね」と最大限の賛辞を送っている。「人々の精神の近くに」というのは、会田自身の芸術家としての決意でもあることは容易に想像できる。

米国の著述家ダニエル・ピンクは『ハイコンセプト』の中で、未来をリードするのは、芸術家やストーリーテラー、巧みな比喩を作れる人だと書いている。比喩は全体的思考能力であり、他者を理解する助けになるのだという。そして、芸術を生業にしている人のみならず、すべての人が他者への理解、自分たちの世界を観察する態度を持つことの必要性を説いている。

人々の心象を描いた70年前の作品の鮮烈な印象と、その意味を私たちに伝える現代の芸術家の力強い言葉は、芸術の、他のものに替えがたい役割をあらためて教えてくれたような気がする。

社会課題の解決に奮闘する組織や人を支援するabtで働く私にとって、その背景にある人々の声や問題の本質を注意深く観察することは最低限の心得ではないだろうか。うっかり気が付かないでいる、あるいは見過ごし、忘れてしまいそうになるものを、巧妙に取り出して見せてくれるような作品に出会い、触発されたいと思うし、そのメッセージを受け止める感覚を磨きたいと思う。

大田区立龍子記念館