【連載】絵本の中の生きものたち 番外編『昆虫たちの国』(1946)中央出版
小山内龍:作、絵
「『では、私を昆虫でないとでもいふのですか。』と、ムカデはまっかな顔をして怒りました。『虫でせうが、学者のきめた昆虫の仲間には、はいってゐませんね。文句があるなら学者にいって下さいよ』と、クハガタが言いました。ムカデはぷんぷん怒って、はっぱをはねのけるようにして、もぐっていきました。『今日は運の悪い日ですね。たまにお客さんがあると、四十二本も脚のあるムカデだったり。』と、いってクハガタは木へ登っていきました。」(『クハガタの靴屋さん』)
次回予告から長らく間が空いてしまいましたが、怒涛のサイトリニューアルを乗り越えて、忘れられていた連載を再開いたします。執筆者は引き続きスタッフの八木ですが、今回はちょっと番外編。実家の片づけをしていたら、古い子ども向けの本が出てきました。終戦から1年後の出版になるのでしょうか。紙質も製本もひどいものです。ぱらぱらめくってみると、なかなか面白い。さまざまな生物の実際の生態をもとにした短い物語が17編納められています。
生態に基づく物語というのもヘンな表現ですが、あとがきにある作者の説明ではこうなっています。「昆虫の習性と生態に材を取り、十七篇に別けて、昆虫の話を作ってみました」とのこと。物語に織り込まれているのは、複眼と単眼の役目(目を傷めたモンシロチョウ)、決まった食草以外は食べないこと(ゴマダラ蝶のお母さん)、種類によって鳴く時間帯が異なること(ヒグラシとキリギリスの歌)、などです。あとがきの結びには、「私がこの十七篇の話を作った目的は、子供達が自分で山野へいき、昆虫や其他の動物の自然観察を、実際にやってもらいたいからです」とありました。のん気でアッケラカンとした語り口で、落語みたいな洒落も効いています。子ども向けの話にありがちな、悪事への応報みたいな教訓の押しつけがないのもよろしい。
人間とは異なる都合で生きているほかの生物の仕組みを知ったとき、それを単純に「面白い!」と思うかどうかは、生き物好きとそうでない人の分かれ目のような気がします。子どものうちに、このようなお話と出会って、山野へ駆け出して行くのは悪くないかもしれません。「文句があるなら学者にいって下さいよ」なんていう言い回しも味わい深い。学問には特有の手続きや知見というものがあって、それは生活上の直感とは乖離していることもある。だけど、それを踏まえることで初めて開けてくる世界もあるはずです。
科学者への不信を募らせるような事態に遭ったとき、一気に科学の否定へと走ってしまうと、今度はつまらない陰謀論に簡単に絡めとられてしまいます。科学者の側が、あくまで科学の手続きに則りながら、私たちにも(原理的には)検証可能な知見を公開してくれるのはありがたいことです。人間の思惑を超えて科学的な事象は存在するということを、子どものうちから実感できたら、世の荒波を乗り越えていく櫂のひとつにもなるのではないでしょうか。
古い本なので絶版のようですが、なぜかオーディオブック版がありました。挿絵も楽しいので、朗読だけでは残念ですけれども。
▼[オーディオブック] こん虫たちの国
▼[Audible版]こん虫たちの国
次回からは、大昔の予告どおり、「役に立つどうぶつ?」に戻ります。さてさて。