アルゴリズム支配に縛られない
一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト代表理事 星川 淳
(連載開始にあたっての前置きは第1回をどうぞ)
“技術”と“心得”を交互に取り上げる順番から、第4回は前回の結びで予告した「漢字かひらがなか」の大問題を中心に――
漢字の開き方
ご存知のとおり、漢字カタカナ混じりの文語体だった戦前の大日本帝国憲法に対し、現在の日本国憲法は、草案こそ旧憲法と同じ文体だったものの、「国民の国語運動連盟」の提案により漢字ひらがな混じりで句読点のある口語体で表現されることになりました。天皇の人間宣言と並んで、敗戦がもたらした多層的・多面的な大変革の一端です。その後も戦後民主主義の定着と進展につれ、日本語を多くの人に開かれた形で表現する運動が続きました。
1952年(昭和27年)に生まれた筆者の感触では、日本語をなるべく平易に、ひらがなを多く使って書く流れは1980年代ぐらいまで顕著でした。「え、そんな言葉までひらがなにするの!?」と違和感を抱くほどの表記を、名の知られた作家や評論家が用いたりしたものです。ところがその後、連載第1回で触れたパソコンの普及とも関係するのか、若い世代でもやけに難しい漢字を用いる人が増えたように思います。もちろん、小説家などが意図的に文語体や旧仮名遣いを用いるのは自由ですが、この連載で取り上げているのは、あくまでも事実や主張を広く、わかりやすく伝えたい文章の話です。
筆者は基本的に、民主的な日本語表現を心がけた戦後の流れを尊重し、パソコンのアルゴリズムが上位に示す漢字を無意識・無自覚に選んでしまうことには注意を促します。「これが正解」という物差しのない文章表現において、唯一のめやすとなるのは、自分の表記選択に明確な理由や裏づけがあるかどうかです。それがあいまいなせいで一貫性がなく、表記のゆらぎが多いのは、稚拙な文章の典型でしょう。
という前置きのうえで、よく出会う選択肢を例示しつつ、必要に応じカッコ内にその理由を挙げてみます。筆者の選択はおおむねスラッシュ(/)の右側ですが、それは1990年代あたりまで、上記のような文脈に沿って、当時はまだ主流だった書籍や雑誌など紙媒体を中心に、大半の編集者および編集部が一般読者向けに採用していた表記に近く、その多くは現在も踏襲されているはずです。
ただし、漢字表記は字面だけで原義の察しがつくことも多い利点を備えています。また、日本独特の異文化折衷である漢字かな混じり文は、漢字が多すぎると見た目が混み合って読む気を萎えさせかねない一方、適度に漢字が混じることで文章が引き締まりますから、単純に漢字を減らせばいいというものではなく、総合的に判断してください。文例1と2に対比を試みました(無理に仕立てて筋の通らない駄文ご容赦)。人によっては1のほうが好きだったり、2はひらがなが多すぎだと感じたりするかもしれません。2が正解だという意味ではなく、意識的・自覚的に選択しているかどうか、団体の場合は組織としてどんな方針にしたいかを問いかけています。
あるある用例
「分かる/わかる」(同じ意味を表わせる漢字は「解る」「判る」など複数あるし、その中で「分」の字を用いるのは、事象を小さく分解すれば理解できるという要素還元主義の匂いがする。)
「例えば/たとえば」
「事/こと」 (「自分のことを話す」といった場合はひらがなを勧めるが、「仕事」のような熟語は漢字が妥当。)
「私達・自分達/私たち・自分たち」(なお、「私/わたし」の選択肢もあるが、筆者は紙媒体だと字数を節約するために「私」に傾くなど、ケースバイケース。)
「誰/だれ」
「既に/すでに」
「全て/すべて」「全く/まったく」
「無い/ない」
「出来る/できる」(ただし、「出来上がり」のような熟語的用例では漢字が妥当なケースもある。)
「致します/いたします」
「目指す/めざす」
「し得る/しうる」(「あり得ない/ありえない」なども同様。もちろん、本来の取得するという意味の「得る」は漢字が妥当。)
「更に/さらに」
「仰る/おっしゃる」
「風に/ふうに」
「様に/ように」
「殆ど/ほとんど」
「辺り/あたり」
「兎に角/とにかく」
「又/また」
「為/ため」
「及び/および」(「XおよびY」などの場合はひらがなを勧めるが、本来の「達する」という意味で「会合が3時間にも及んだ」のような場合は漢字が妥当か。)
「尚/なお」
「且つ/かつ」
「内に/うちに」(「そのうち考えればいい」などの場合はひらがなを勧めるが、本来の内と外を強調する場合は漢字が妥当。)
「過ぎる/すぎる」(「やりすぎる」などの場合はひらがなを勧めるが、本来の通過の意味では漢字が妥当。)
「欲しい/ほしい」(「~であってほしい」のような場合はひらがなを勧めるが、本来の欲求・欲望を強調したい場合は漢字が妥当か。)
「尤も/もっとも」
「かも知れない/かもしれない」
「付ける/つける」(同様に「気付く/気づく」なども)
「未だ/いまだ」
「時/とき」(「目的地に着いたとき」のような用例ではひらがなを勧めるが、本来の「時間」という意味で「時の歩みが遅い」などは漢字が妥当。)
気まぐれ用例
以下は筆者も迷うことがあるものの(どちらかといえば右側派だが、文脈などによって気が変わったりする)、同一の文章・文書・作品の中では統一します。
「今/いま」
「最も/もっとも」
「一つ/ひとつ」「二つ/ふたつ」(「三つ」以降は漢字が妥当。)
「一人/ひとり」「二人/ふたり」(「三人」以降は漢字が妥当。なお、筆者を含め「ひとりひとり」は「一人ひとり」と漢字かな混じりで表記することが多い。)
「特に/とくに」
「実は/じつは」
「常に/つねに」
「間/あいだ」
「様々/さまざま」
「良い/よい」(「~するとよい」「よく見かける」などの場合はひらがなを勧めるが、本来の良し悪しを強く意味づける場合は漢字が妥当か。)
「一方/いっぽう」(「他方」は漢字が妥当。)
「中/なか」(「お忙しいなか」などはひらがなを勧めるが、本来の内と外の対比を強調したい場合は漢字が妥当。)
「上/うえ」(「~したうえ」などはひらがなを勧めるが、本来の上下の意味で使う場合は漢字が妥当。)
「後/あと」「後/のち」(「その後」などは「そのご」「そのあと」「そののち」と複数の読み方ができるため、読み方を特定したければひらがなが妥当。)
「頃/ころ・ごろ」(時間的な近傍を表わす場合や、「ころ」か「ごろ」かの読みを特定したい場合はひらがなを勧めるが、「頃合い」などは漢字が妥当か。ちなみに、「このごろの若い人」だと「最近(当世)の若い人」を意味するのに対し、「このころの若い人」だと文脈が示す時代設定で「当時の若い人」を意味しうる。)
「構わない/かまわない」
イウ&ミル
上述の選択肢と似ているけれども、使い分けの理由が少し違うものに「言う/いう」と「見る/みる」があります。
「言う/いう」
筆者は実際の発話・発語がともなう場合に漢字を用い、それ以外の「青春という憂鬱」などの場合はひらがなにします。
「見る/みる」
同じく、実際の目視行為がともなう場合は「見る」とし、「食べてみたい」のような場合はひらがなを使います。
境界線上にあって判断が難しいケースも出てくるでしょうが、迷うことで判断力が磨かれるものです。
漢字/ひらがなの選択に限らず、新聞・雑誌・書籍、そして現在ならウェブメディアも含め、テキストによる発信を仕事とする組織は、必ず独自の表記規則をまとめていて、これを通称「ハウスルール」と呼びます(連載第1回でご紹介した共同通信社の『記者ハンドブック』も、日本社会学会の「社会学評論スタイルガイド」も一種のハウスルール)。繰り返すと、この連載は「これが正しい」と主張するのが目的ではありません。「こういうポイントを意識しては」と示唆することで、NGO/NPOもハウスルールを整備・改善していくための参考になれば幸いです。