【ディスカッション+質疑応答】
モデレーター:桃井貴子(認定NPO 法人気候ネットワーク・東京事務所長)
プロフィール)
大学在学中より環境保護活動に取り組み、卒業後は環境NGO職員、衆議院議員秘書等を経て、2008年より気候ネットワークのスタッフとなり、2013年より現職。2011年3月の福島での原発事故後、原発もない、温暖化もない未来をめざし、エネルギー・気候変動問題を中心に取り組み、様々な団体と連携して活動を展開。2017年、「石炭火力を考える東京湾の会」など袖ヶ浦、千葉、市原、横須賀の石炭火力計画の中止に向けた運動に地元の人とともに取り組み、千葉県での石炭火力発電所計画の中止を実現させた。
「なぜ、こんなに見えにくくされているのか」
桃井:今日はかなり込み入った話というか、確かに「マニアック」という感じで、いろいろなお話がありました。
最初に松久保さんからは、「核燃料サイクルとは」という非常にわかりやすいご説明があって、さらに再処理の問題についても概要をご説明いただきました。一方で、核兵器との関連ということで、日本は核燃料サイクルを持つことによって、核兵器を作る能力があるということもご教示いただいたと思います。
猿田さんには日米の最新動向ということで、高速炉開発の日米協力体制ですとか、過去の経緯から今に至るまでの原子力に関する日米間での取り交わしについて。それから、アメリカでは原発はもう斜陽産業というふうにおっしゃっていて、私もそういう印象を持ってたんですけれども、そういう中においてもアメリカでは盛り返す動きも少しあるというような、最近の情報もいただきました。
ただ、やっぱり合理的なんだなと思ったのは、原発の発電コストが一番高いことに対して「そんなの全然電源としては使えないんじゃないか」みたいな声も一方では大きくなっているところが日本との違いで、だまされずにしっかりと見極めているような印象も受けたところです。
まさのさん、井田さんは、この問題に関して日本の二大ジャーナリストかもしれません。逆に言うと二人しかいないかもしれないという気もしています。お二人がずっと長い間、この問題に向き合ってこられたということで、いろいろな指摘をいただきました。まさのさんは今年になってから六ヶ所にも行かれているということで、非常に「なるほどな」という六ヶ所村での現実と、原子力規制委員会のあやふやな判断みたいなものも明らかにしていただいて、すごく良かったと思います。
井田さんからはエネルギー政策の決め方の問題、今の経産省主導型のプロセスの問題などをご指摘いただきました。井田さんも環境省の審議会のメンバーになっていて微妙な立場の中、非常に歯切れよくいろいろなお話を伺いました。ありがとうございます。
今日のテーマですけれども、これだけ問題なのに見えにくくなっているし、いろいろな人が突っ込みにくいですし、突っ込んでいかないマスコミの現状もあったりということで、「なぜ、こんなに見えにくくされているのか」ということを、この時間で少し皆さんからご意見をいただけたらと思っております。
まずは今日お話しいただいた順に、今のテーマで何が本当に問題なのかというところを、お一人ずつお願いします。
核オプションが「陰謀論」に聞こえてしまう
松久保:最初にあった通りですけれども、難しいというのが一つ。「めちゃくちゃ難しい」わけではないのですが、原子力というだけでたぶん「面倒くさいな」となると思うのです。原子力を技術的に理解しようと思うと面倒くさくて、再処理となるとさらにワンクッション入るのでもっと面倒くさい。
さらに言うと、すごい膨大なコストがかかっているんですけども、電気料金にしてまんべんなくばらすと、すごく安く見えるようになるんですね。なので、負担感がそんなに発生してない。でも実は負担させられているという状態があると思う。なので、そのあたりがあるのかなと。
あともう一つ、核兵器とのからみ合いのところもある。これまでずっと原子力と核兵器は、日本の中では切り離せるものだと理解されてきた。だから、「日本で核燃料サイクルができるのはすごく素晴らしいことだ」と受け止められてきました。
でも、実際のところはそんなにうまく切り離されるかどうかは本当に微妙なところです。ただ、そこがちょっと、なかなか言い出しにくいところじゃないかという気がします。そういったものがいろいろからみ合って、こういう状態になったんじゃないかなと思います。
桃井:誰が言い出しにくいんですか?
松久保:それは、みんな言い出しにくいところです。そもそも日本国内では核兵器のオプションは、あり得ない選択肢となっている。一部の人たちの中では核オプションは厳然として存在するのだけど、それは少し言いづらいなって僕も思うんです。なぜなら、ちょっと陰謀論めいて聞こえますよね。
核オプションっていうシステムそのもの自体が、陰謀論みたいなものなんです。そもそも核オプションという選択肢には、厳密な根拠はないはずです。つまり本当に核兵器を持つか持たないかは、すごく曖昧化されてるわけですよ。でも、「相手側が持つと思う……かもしれない」という、その曖昧性が核オプションのすごく重要なところなんですね。
核兵器を持つかもしれないから、こういうことはやらないでおこうという形で相手の選択肢を狭める。例えば先ほどのアメリカの核先制不使用の問題ですけれども、先制不使用を宣言しようとした時に「日本が嫌がるかもしれないから、その選択肢は取れないね」っていうふうにアメリカの選択肢をふさぐ。
でもそれは、日本が「核兵器を持ちます」と言った時に、終わっちゃうわけです。NPT(核不拡散条約)違反になって北朝鮮みたいにサンクション(制裁)を受けたりすることになるので。だから絶対にそんなことありえないのだけど、「持つかもしれない」と曖昧化しておくことが重要な戦略なんですよ。だから、政府は言わないし、こちら側もなかなか出しにくい。陰謀論のように聞こえてしまうかもしれないから嫌だな、というのがあります。
桃井:なるほど、ありがとうございます。猿田さんいかがですか。
米エネルギー省の4分の3は核兵器
猿田:今回、ワシントンに1ヶ月ぐらい滞在して、私は安全保障の問題に関わっている割合が高いこともあり、国務省とか国防総省とかエネルギー省の高官に何人もお会いしてお話をしてきました。
日本で核兵器って言うと原発とは全然違うものという扱いになっていますが、さっき私が英語の「原発(nuclear plant)」を日本語に訳す時に「核プラント」と間違えて言いかけたように、英語で話している時は全部「Nuclear」で同じです。今回の滞在では、エネルギー省にも行ったのですが、「エネルギー省」というふうに申し上げると、たぶん今ここで聞いておられる方は、原発だけでなく水力、火力、自然エネルギーなど、みんなが使っているエネルギーの省庁だと思いますよね。英語でも「Department of Energy」なので、まさにこの省の名前は「エネルギー省」です。
今回、私はエネルギー省の原発担当のトップの人にお会いしました。その日、その人に会う直前に他の原発の専門家に会っていたので、「これからエネルギー省の原発の担当者に会いに行きます。原発担当のトップの人なんで、いろんな話をしてきます」とその専門家に言ったら、「彼女はエネルギー省の中で力なんか全然ないんだよ」と言われました。「えっ!? どうして? 原発部門のトップなのに?」と聞いたところ、エネルギー省の中で彼女が持ってる予算割合なんて、原発を全部取り扱ってる部局のトップだからといっても本当にわずかなんだ、とその専門家は言うんです。
私には理解できないわけですよ。電力の2割ぐらいは原発で発電している国なわけだから、2割ぐらいの権力をエネルギー省の中で持っているじゃないかと単純計算すると思うわけですよね。それで、なんで? とその専門家に聞いたら、「エネルギー省ってね」と円グラフを書き始めて、そこに基本的にはエネルギー省の4分の3は核兵器を取り扱っていると書くんです。「えっ、核兵器って国防総省じゃないの?」と思うんですけど、「いやいや、国防総省は運搬手段であるミサイルとか潜水艦とかは扱っているけど、核兵器そのものはエネルギー省の担当なんだよ」と。「へえ!」ですよね。4分の3は核兵器を作ったり、核兵器の実験で汚れたものをきれいにしたりしている省庁であって、残りの4分の1の部分に私たちが通常考えているいわゆるエネルギー、つまり、原発とかソーラーとか風力とかが含まれている。4分の1よりもっと少ないかもしれないです。
そのぐらい、核というのが「エネルギー」の中でものすごい重要視されている。なんと言ったらいいのか、「エネルギー=核」というか、いや、それより、エネルギーの前に核兵器というか。実際にエネルギー省に入ると、最初に目に入る展示物がマンハッタン計画に関するものなんですよ。そのマンハッタン計画の展示の横に、核弾頭が展示されている。そして、その横に風力発電のモデルが置いてある。私たちからすればとてもアンバランスなのですが、エネルギー省の入口はそうなっているんです。
「平和利用」を信じ込まされてきた日本人
桃井:日本で言うところの資源エネルギー庁ですよね?
猿田:結論的に言えば、経産省や防衛省との棲み分けが違うということになろうかとは思いますが、イメージ的には基本そうです。逆に言えば、日本でいうと資源エネルギー庁の4分の3の予算と人員の全部が核兵器をやっているみたいなもの。残り4分の1にソーラーとか火力・風力など他のいろいろがあり、それに交じって原発も含まれているので、原発担当者の権限は本当に少しですよね。
そして、その担当者との面談の部屋に行くとバーンとアイゼンハワーが「Atoms for Peace」の演説をしている写真、それも、壁全面を使うほどの大きな写真が貼ってあるんです。そして、その原発部門トップの彼女が何を話すかというと、一生懸命日本にアメリカの原発を買ってもらうなり、アメリカの高速炉などに投資してもらうなりのため、いかに原発を売り込むかという話で、セールスマンみたいでした。
原子力発電の基本的な構造などは、核兵器から受け継いでいるものなんですよね。ということで、日本の中の文脈で、さっき松久保さんが「陰謀論みたいな感じがしてしまう」とおっしゃっていたのですけど、核兵器と原発のつながりはアメリカでは当たり前すぎて、陰謀でもなんでもありません。ついこの前まで原発の専門家として発言していた人が、今回会ったら「今、あまり原発のことは書いてなくて、核兵器のことばかり書いているんだよ」というのはよくある話です。
そういう意味で、私たちはあまりにも「平和利用」みたいなものを信じ込まされすぎていて、それが根本的には同じ原理で動いてるものなんだということを忘れてしまう。「原発が危ないとは言うものの、そこまでではないんじゃない?」という気持ちになったりするのかなと思います。
桃井:本当に「へえ!」ということがたくさんあって、もうなんか頭がいっぱいですけれども。まさのさん、今までのお話を受けて、いかがでしたか?
まさの:今の猿田さんの話を聞いて思ったのは、核の平和利用ということで、原発は原発で広島・長崎とはまた別の話ということでコントロールされてきた私たち日本人、みたいなことをちょっと感じてしまいました。
戦後7年間は広島・長崎の被害状況について報道すらできなかったわけで、7年目にして「さあ報道できる」という頃には、人々は広島・長崎のことを忘れていたのではないか。そこが実は、原発を武器として使えることに対して、人道性とかいろいろなことで、そこにフォーカスされたくないという理由で平和利用という言葉が流通してしまって、そこからいまだに抜け出せていないということを伺いながら感じました。
あと、今日のお話の中で、犯罪と補助金がなければ原発は成り立たないというのは、日本でもまさに本当はそうだな、と。高浜原発とかその地元で行なわれてきたことなんかを考えるとそうなのだけども、司法がそこで機能せず有罪にならずに今日まで来ている。メディアも機能していないけど、司法も機能せず、アメリカの核の傘にずっと入りっぱなしで、知らない間にコントロールされている政府だったり、メディアだったり、一般国民であったり……ということで、本当に根は深いなということを考えました。
桃井:ありがとうございます。井田さんもコメントお願いします。
経済合理性を度外視してきた日本の原発
井田:なぜ日本で原発がこれだけ大事になってしまったかというと、経済合理性をまったく度外視してよかったものが原発だったっていうことなんですよね。電力会社が市場を支配して自由化も行なわれないで、総括原価方式(原価の他に施設や設備などの固定資産から算出した報酬を上乗せして電気料金を定める方式)で原発を建てるとすぐに電気料金に反映される形で、銀行は平気でお金を貸してくれる。国も原発推進という方針があって、税金を投入するという道もあり、経済性を度外視してずっと原発をやってきたと。
とはいいつつ、もう自由化されて、総括原価方式もごく一部になってしまったので、今はほとんどできないはずなのだけども、惰性で、先ほどお話したように「もうこれをやめる」というと非常に大きな血が流れるもので、それが止められてなくなってしまった。何をやってるかというと、そこに電気料金以外の税金がどんどん投入されて、福島の汚染水なんかも完全にそうなんですけど、国が面倒を見てやるというような作業になってしまっているんですよね。本当は、それを切らなきゃいけないのです。ただ血が流せないから切れない。このままいくと、どんどん原発にお金が費やされることになる。
海外を見てみるとわかるのですけども、今、原発をまともに建てることができているのはロシアと中国だけなんですよね。イギリス、アメリカ、フランスでも政府が旗を振っても、フランスのアレバ(総合原子力企業)やEDF(Électricité de France:フランス電力)は倒産しかかっている会社だし、アメリカも「原発よりも最近は再エネだ」という資金の流れがあって原発が建っていない。日本だけ原発が建つとしたら、それは日本が経済合理性の行き届いていない歪んだ市場を持っている国だと言えると思います。
もう一つ、メディアの責任が非常に大きいんですけども、海外の正しい情報が日本のパブリックに伝わっていないということなんですよね。アメリカから伝わってくるのは、本当に都合のいいごく一部の情報で、それを経産省系の人間とか研究者が記者にささやいて記事を書かせている。本当はアメリカのごく一部の意見であるはずなのに、「アメリカがこう言っているから原発は止められない」とかですね。
「フランスもマクロン大統領が原発やると一生懸命言っています」という都合のいい情報だけを経産省がバイアスがかかった形で翻訳して、記者に流すという構造がどうしてもある。それは海外の一次情報とか、英語やフランス語の情報に触れられない・触れない記者の怠慢でもあるのだけども、グローバルな中での日本の原子力エネルギー政策がきちんと議論されるインフォメーションのベースがない。これは非常に大きなことだと思います。
「原発は安全保障上も重要」という風潮の危険
井田:平和利用と原子力のことを言うと、日本はとにかくずっと平和利用で、ご存知の方もいるかと思うのですが、最初に原子力平和利用のパブリックイベントみたいなのは広島で計画されたんですよね。核の被害を受けた国だからこそ平和利用に貢献するんだ、という変なロジックが昔から作られていて、日本だけは核の平和利用の大先進国です、みたいなことをずっと言ってきた。
ただ、実は裏ではずっとそれはあったんです。科学技術庁の人間なんかと話をすると、裏ではやっぱりプルトニウムを持つということは安全セキュリティ上のオプションなんだ、と。ただこれを言ったら僕はクビになるからね、って言っていた。それはあったんだけども、きちんと厳密に区別されてきた。僕はNGOにもちょっと文句があるのは、核拡散とか反核運動やっていた人は反原発を問わなかったところがあるんですよね。平和利用はいいんだ、というふうに言ってきた。NGOとか反対勢力もそのロジック取り込まれたところがあって、なかなか議論にならなかったなっていうのがあると思います。
ただ、もうそれも持たなくなってるんですよね。原発をやる理由が経済的にもなくなってきて、実は「温暖化で原発に頼るようになったら、もう原子力も終わりだよね」と僕は言っていたことがあるんですけども、原子力に頼っても実際は温暖化対策に役立たないこともわかってきているし、今、唯一の原発推進のよりどころが安全保障みたいになってしまっていると思う。安全保障が大きな理由で原発をやらなければならないとなってきているように思えて、これは非常に危険なことだと思う。それは自民党だけじゃなくて、旧民主党の中にもあったのはご存知だと思うんですけども、福島での原発事故直後に原発をやるために「安全保障上も重要なんです」ということが平気で語られるようになってしまった風潮が、僕は非常に危険だと思っています。
昔付き合っていた科学技術庁の人で「よくあんなこと言うようになったよね。あんなことを昔言っていたら、即座にクビになってたよ」と言う人がいるんですよね。そういう意味では、原子力と安全保障と核兵器の関係、原発の平和利用との関係が見えてきたのは良いことなんだけども、それをちゃんと議論しないと、危ないところに行ってしまうかなと思っている今日この頃です。
桃井:今のお話は、経済合理性を考えると原子力はエネルギーとしてもう成り立たなくなっているというのが大元にあって、原発が必要だと説明できなくなっているということですよね。
井田:僕はそうだと思います。温暖化防止に役立つというロジックですけど、実は海外の研究を見てみると原子力の貢献は非常に小さいことがわかっています。再エネと省エネが3番4番バッターで、あとは熱利用が5番バッターぐらいの感じというのが世界の常識になっている。日本だけが原子力で温暖化対策というのは、そろそろやめたほうがいいんじゃないかな。怪しげなところが、ばれてきているので。
桃井:ただ、表向きには井田さんの説明にあったエネルギー基本計画の中にきちんと位置づけられていますよね。
井田:おっしゃる通りです。ああいうのを書いてしまうとやらなきゃならないということで、これからどんどん税金が投入されていくんだけども、再処理にしても原子力にしても、どこかで本当に政治家がやる気になって血を流さないと、このままだとハードランディングになってしまいますよね。
桃井:血を流すのは政治家ですか?
井田:そうだと思います。政治的な決断だと僕は思います。
メディアが「やるべきこと」は何か
桃井:この核燃料サイクルは本当に問題だらけで、お金ばかりどんどんつぎ込まれ、実態としては全然回らずに行き詰まっているのは明らかです。ただ、世の中的には全然「明らか」になっていなくて、それはメディアも問題だし、市民の関心も何となく陰謀論的にまだ語られている側面があるというところだと思います。じゃあ、ここにどうメスを入れていかなくてはいけないのか、まずはメディアの役割というところで、メディアのお二人からは現状を教えていただいたところもあるのですけど、逆に松久保さんとか猿田さんはメディアの方たちとお付き合いもあると思うのですが、メディアの役割と今後メディアに対して期待すること、やるべきことについて少しお話しいただけますか。
松久保:新しいエネルギー基本計画では今2030年としているエネルギー需給見通しの改定を、2035年とか2040年とか、わからないけれど、たぶんやると思うんですよね。その過程で、僕は原子力小委員会というところの委員をやっていて、そこで何回も言っているのですが、核燃料サイクルの成立性についてもう一度再検討を行なうべきだと言っています。経産省は絶対やらないですが。ただ、本当はやらなきゃいけないはずなんです。
これから先、日本はプルトニウムを減らしていかなくてはいけないことになっているんですね。原発は長期運転することになったけれども、新設は多分そんなに期待できない。一基建つか建たないかみたいなレベルだと思うんですよ。そうなってくると、いずれは原発がどんどんなくなっていく。どうしても廃炉になっていく状況にならざるを得ない。その中で、「でも核燃料サイクルだけは続けていく」というのは無理なはずなんですよ。だから、再検討はやりたくないと思うのですが、やらなきゃいけない時がいつかくると思う。このまま続けていっても絶対に破綻するのが見えているので、やらなきゃいけないはずです。
これから六ヶ所再処理工場が一応来年稼働すると言っていて、本当にできるかどうかは別として、やっぱり核燃料サイクルの成立性をもう一度検討する時がきたのではないかと思います。事業者だって本当はやりたくないはずなんです。コストが高すぎて付き合いたくないと思っているはず。でも、周りにがんじがらめにされている状態で、もう繰り返し繰り返し約束を強制されてきましたから、彼らとしてもやらざるを得ない。
だから、井田さんが言う通り「血を流す」ということになるんですけれども、経産省も絶対変えるつもりはないので、つまりは政治家がやるしかないところだと思う。その気運を作っていくことは市民運動もやらなくてはいけないところですけども、まさのさんが先ほど指摘してくださったように、メディアがもう少し問題を可視化して、政治家に「これやっぱりやばいよね」っていう意識を植え付けていくための報道をやっていただきたいと思います。
桃井:さっき、まさのさんが「核燃料サイクル」で検索するとこれだけの政治家が質問していましたみたいな数字を出してくれたのですが、あれは別に批判的に見てる人の数だけではないですよね?
まさの:はい、両方です。推進側もです。自民、維新、公明とかですね。
情報は意図的に流されている
桃井:猿田さんはメディアの役割について、いかがお考えでしょうか? アメリカのメディアがこの問題をどう報じているのか、みたいなところもあれば教えてください。
猿田:言い尽くされた批判を繰り返してもしょうがないので、日米関係を見てきた私の視点からだけ申し上げます。これまで私が毎回のように申し上げてきたことは、原発に関してだけではないのですけれども、先ほど井田さんが海外からの情報が経産省とかの力を通じて非常に偏ったものになっていると話されたことにも通じるところがあります。
海外からの情報は意図的に選択することが可能になっています。井田さんはワシントン支局にいらっしゃったのでよくわかると思いますが、日米関係でいえば、まさにそれはワシントン支局を代表とする日本メディアの海外特派員がなさってることです。また、その方向を決めるために、日米の間に流れる情報についていえば、アメリカ政府なり日本の大使館がメディアの人たちと常に情報共有しながら、流してほしい情報を、数少ない限られた特派員の人たちに伝え続ける仕掛けになっています。
結局のところ、日本政府が流してほしい情報があって、日本メディアはそれを受けつつ、方向がかなり決まった中で「自分が取りたいと思う情報」をアメリカならアメリカ内で取ったうえで日本に流す。そうすると、特にアメリカ発の情報というのは日本の中で強烈にパワフルなので、「アメリカの人はこう言っています」と言うと、「日本の何とかっていう議員がこう言っています」というのに比べて時に100倍もの力があったりする。それを使って日本政府は日本の中で、原発でも安保でも、実現したい政策を実現していくわけです。まさに非民主主義的な手段であり、場合によっては限られた人による情報操作と言ってもいいことすらあります。その手法を私は「拡声器効果」と呼んでいて、それを変えられないかとNDという団体を作って別途日米のパイプを作ろうとし、拡声器効果についての本まで出しているくらいなのですが、まさにこの「ワシントン拡声器」をうまく使うために海外にいる日本メディアが機能し、海外の大使館が動いているというところが一面あるんですよね。
だから、例えば再処理の問題とか原発の問題でいえば、2012年、福島原発事故を受けて1年後、民主党政権の末期ですが、少なくとも2030年代には原発はなしにしていこうという閣議決定をしようとした時に、アメリカがそれをやるなと猛烈に言っている、アメリカから日本の原発ゼロに反対する声がいっぱい出ているという報道が日本のメディアにバンバン出ました。けれど実際は、その時はまさにアメリカの原発産業はもっとも斜陽な時期だったので、原発に希望を持っている人がいない国で日本に原発を続けろ、なんて言う人はほとんどいないんですよ。それにもかかわらず、日本の新聞だけ読んでると、アメリカ人がみんな口を揃えて「日本は原発を続けろ」と言ってるみたいな感じの紙面になってるわけですよね。テレビもそうです。それはまったくアメリカの現実を描いていない。
どうして日本の人たち向けには「原発頑張れ」みたいことばかりをアメリカ人が言っているような報道になるのかというと、例えばさっき紹介したセントラス・エナジーは日本に原発の原料である濃縮ウランを輸出していますが、そのセントラス・エナジー社の顧問とか、日本の原発に因果関係を持っているような人たちだけにインタビューをしていて、しかもセントラス・エナジーの顧問であるといったバックグラウンドは書かずに、「この人はこの分野の権威です」といってニュースを流している。これは日経新聞で実際にあったことですけど。それを読んだ日本の人々は、アメリカの人たちはみんな日本は原発を続けなければならないと思っているんだと思ってしまうのですが、ワシントンに行ってインタビューしても、そんなことを言っている人は簡単には見つからない。そんな状態なんですよね。海外ニュースは、現地で見聞きしている人がすごく限られるので、すごく簡単にいじれるんですよ。
2012年というと、もう10年以上経ってしまいましたが、まさにその時に私が反原発の人とかにインタビューしていると、「まだあなた、反原発運動しなくちゃいけないの? かわいそうだね。アメリカではその運動はもう終わったよ。やることなくなったから」とか言われていたんですよ。私も「いいね、やることなくなって。うらやましいです」とか言って。最近は彼らも、アメリカの現実味のない浮つき加減を叩き切るために再び頑張っていますけど。
そんな感じで、こと海外からの日本メディアの情報には、私たちは本当に常に気をつけ続けなくてはいけないと思います。メディアへの要望としては、「あなたの書いているものは、誰かの意図によって左右されていないか」ということを、ペンを持つ立場の人たちには常に気をつけてほしいです。
あと、さっきの犯罪の話ですけど、本当にアメリカでも汚職とかがひどい。そういうこともアメリカでは関係者はみんな知っていて、最近でも、州議会の議長が収賄罪で逮捕されて有罪となり、20年の懲役刑になっています。でも、それは日本のメディアには全然載っていない。そういうことが知れわたると、原発業界はかなりの大打撃を受けます。日本ではそういうニュースは流れない代わりに、ニュースケール社が小型原発を開発したという記事がバンバン載る。このアンバランスさは、本当にメディアの方に声を大にして文句を言いたいことだなと思います。
強力なインフォメーションコントロール
桃井:井田さん、今のお話については?
井田:おっしゃる通りだと思います。経産省だけではないのですが、アメリカで自分たちに都合のいい人の話だけ聞いて日本に持ってきて、それがいかにもアメリカの総意のように言ってインフォメーションコントロールをするというのは、ずっと彼らがやってきたことなんですよね。昔はしょうがなかったのだけど、これだけ英語の情報に簡単にアクセスできるようになって、一次情報にもアクセスできるようになって、英語・フランス語が苦手だったら最近は自動翻訳もあるので、なぜ記者がそういう現地にある真の情報にアクセスしないのか、不思議でならないです。
やっぱりそれは記者側の怠慢というのが非常に大きいのと、役所のインフォメーションコントロールが、特にエネルギー政策については、経産省の記者クラブを通じて非常に強力な形でなされているんですよね。それをちょっとでも打破する試みとしてはもちろん記者の努力だけではなく、猿田さんたちのような活動も重要です。「アメリカで本当はこういうことが起こってます」ということをメディアや市民社会に伝えられるように、NGOサイドとか研究者サイドが努力することとも相まって打破していかないと、なかなか難しい。それはアメリカの情報だけじゃなくて、欧州、アフリカ全部そうです。
さっきは説明しなかったのですが、僕のスライドの最後につけていたのは、英語がでたらめに和訳されている例です。日本の記者が経産省が作った和訳だけ読むのもいけないんですよね。言葉の壁を打破しなきゃいけないとか、いろいろメディアの課題は多いのですが、それをやっていかないと非常に大きな罪を我々は犯してしまうことになる。猿田さんのおっしゃる通りだなと思います。
桃井:ありがとうございます。最初に星川さんがごあいさつされた時にも、今のいろんな社会の問題には構造的に共通するものがあるという中で、一番大きいと言える問題がやっぱりメディアの構造ではないかと思います。ジャニーズの問題もそうだと思うんですけど、国際的にも批判を浴びていて、日本のメディアは何でちゃんと報じないんだ、みたいに言われている。そうしたメディアの中で改革意識は出てきていないんでしょうか。
井田:エネルギー政策に関しては、あまり反省してる人たちっていないんじゃないかな。むしろ風が吹いているように思っちゃってる。
桃井:風が吹いている?
井田:岸田首相がGXで原発やるって言っているとか、アメリカではSMRとかベンチャーがバンバンが出てきてやっているっていうような、悪循環の構造なんですけど。
桃井:原発も斜陽産業だし、火力だってもう完全に斜陽産業で、他の国はどんどん撤退する動きにあるのに、日本だけアンモニアだとか水素だとか言いながら結局維持し続けるみたいなことに対して「今だ!」みたいにメディアの人たちが思っているんですかね? それは何でだろうというのが、なかなかわからないのですが……。フリーのジャーナリストとして少し離れた立場から、まさのさんはどうですか?
記者クラブでは質問しない記者が9割
まさの:経産省の記者クラブには民主党政権以降は入れるようになって、質問もできるようになりました。
原子力規制委員会は自由に入れるし、時間制限なく質問ができるので頻繁に質問をしています。フリーの立場でバンバンやっていると、一般誌の記者の方もバンバンと遠慮なく質問するという意味では、原子力規制委員会では原発事故効果があると思います。ただ、記者クラブ自体はないものの、記者クラブみたいに皆さん自分の机を持っているという意味では、あまり文化は変わってはいないのかなっていうのを感じています。
経産省は他の記者クラブと一緒で「まずは幹事社が質問します。今日の制限時間は10分です」という感じになるので、いっぱい質問したいことがあっても、フリーにとってはどんどん手を挙げるのがなかなか難しい。一般紙の記者の方は座っているのだけど、全然質問しない人が9割ぐらいで、「何のためにここにいるのかな」と。現場で取材して「これ変なんじゃないですか」という質問をいっぱいできる立場の人が、実は現場に全然出て行かない。省内で官僚から情報をもらって、それを回していくのが役割みたいな切り分け文化ができていて、それは全然変わってないな、困ったなと感じてます。
桃井:もったいないですよね。
まさの:本当にもったいないです。それと、私は「地味な取材ノート」という無料で読めるサイトにコツコツと書いてるんですけど、例えばさっき言った日本原燃は、保障措置といって国際原子力機関(IAEA)から監視を受ける立場なんですよね。ちゃんと核物質を管理しているのかと。それなのに、常時監視してるカメラの電球が全部切れちゃって画面が真っ暗になったとか、いろいろな失敗をいっぱいしでかしています。でも、それは大ニュースにはならない。大ニュースマターだと私は思うのだけども、新聞の一面にあんまり載ったりしません。
そういうことの積み重ねで、「いい加減な事業者がいろいろなことをやっている」ということが、なかなか出ていかない。それがすごくもどかしいと思っています。フリーのような私の立場では紙面を持ってないので、そういうところでコツコツと書き溜めていくしかやりようがない。そういったことの積み重ねで企画をどこかの媒体に持っていっても、その時はもう古くなっているとか、地味すぎて企画がボツになるということがあるので、一般誌の記者の方にはもう本当に頑張ってほしいなと、いつも思っています。